淡水雑記-2-

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 嵯峨大覚寺の境内に「大沢の池」があります。その池から山のほうに名古曽の瀧というのがあったということで嵯峨天皇に関係してるらしい。今は、その瀧には水が流れていなくて、石組の跡だけが残っていました。先日、その名古曽の瀧跡へ、導かれるままに行ってまいりました。石組みの、その向こうには、垣根があって、そこからは出られなかったのです。が、そこの住所は、嵯峨名古曽町です。嵯峨名古曽町という地名は、ぼくが高校の一年後輩でいた子が住んでいた住所でした。高校二年生だった当時、一度だけ単車の後ろに乗せて、その子の自宅の前にまで送って行きました。暗い道を走って、その子の家屋は藁葺の家だったように記憶していて、障子戸に縁側がある家だったように記憶しています。そのとき一回切りの送りです。冬でした。素手が凍えるように冷たかったのを覚えています。冷たい道を単車で突っ走った。学生服のズボンの右足の糸がほどけ、ふくらはぎが見えていました。特別な関係にあった子ではありませんでしたが、気になる子ではありました。

 その子は文芸部に所属する女子のひとりでした。文芸部には男女が数人ずついて、仲のよいグループに見えました。ぼくなんぞは、女子と会話するだけでもハニカム派だったと思います。ぼくはその年、ブラスバンド部を立ち上げ、部長として文化祭までがんばって、そのあとのクラブ運営は後輩に譲って、ぼくはフリーになりました。その秋の文化祭で、文芸部の人と知り合うようになったのです。高校生の年齢は16歳から18歳、青春というか感情多感な頃だったと思います。胸が絞めつけられるような醒めた冷たい感覚に襲われます。家庭的に十分でなかったことも原因しているかもしれないけれど、個人の資質に拠るところ大きいのではないかとも思います。というのも、その頃から感じ始める感覚が、起伏はあるとしても今にも続いていて、まるで病気かと思うくらいです。高校一年生のとき、恋をして、恋した相手と何度か逢引したけれど、今でいうお付き合いは成熟しませんでした。

 恋に落ちるというのは青春時代には、誰だってあるもんだと思います。片思い、そうです、片思いというやつです。これは相手への思いの深さによって、こちらの思い悩みが浅かったり、深かったり。深い片思いは、それなりに片思いではなくて、相思相愛かもしれないところまで成熟するけれど、なにかの因縁で途切れてしまう。終わってしまう。これは心の傷が失せるまで、相当な時間がかかるけれど、いずれのときにか忘れてしまうものです。そういう経験を、何度かしています。この個別の経験を紐解いていけばいいのかも知れません。ただ、それらは恋の段階で終わっていて、抱きあったり、接吻したり、性交渉したりというこたはありませんでした。唯一、一緒になった彼女とだけ、性の交渉があって、子供が生まれ、いまとなっては孫が誤認になっていて、それなりに社会人を務めあげてきたところです。外面的には大きな破たんもなく、紆余曲折でしたが、ここにこうして、こんなことをして、生きているところです。