淡水雑記-11-

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<写真ワークショップのこと>
ここ数日はかって開催したフォトハウスの写真ワークショップのことを思い出しています。
当時の資料がいくつかあって、開催時の記録写真もあって、これは使えるなぁと思っています。
というのも、無為のことではなく、作為のことにして、ことの正当性を表そうとしている。
ことの正当性とは、いま創立しようとしている「フォトハウス写真研究会」の歴史みたいな。
東松さんがいて、企画が生まれて、実行して、終わってきて、次のステップに移行した。
そういう継続してきたことで、価値を高め、立場を確保し、差別化を図ろうとしている。
これは戦略で、森友学園をめぐる騒動をテレビで見ていて、戦略が必要だと思ったわけ。
ひとの感情なんて渦巻いているなかで、自分を目立たせたいという欲望が沸き上がる。
なんなんでしょうね、人間の本性ってゆうか、共同体の中での自分の立場への関心。
今日、載せた写真は、1986年9月13日の夜の出来事、ぼくがそこにいた痕跡です。
アーカイバルプリントの制作レクチャーの場面でしょう、当日の講師三人が写っています。
結局は写真の場に投入された講座でしたが、主流たる写真の現場から遠い処からはじめた。
当時はまだカメラ雑誌が隆盛で、カメラクラブが主流で、独立した個人なんて弱かった。
あきらかに70年代に起こってくる東京の写真状況を背景に、京都で起こった出来事でした。
個人の自立、カメラを持って写真を撮って、アートの領域に足場を固めていくシステム。
人間の欲望、個人の欲望、なにか生きているという実感がほしい、それが底辺にあるようです。
新しくフォトハウス写研を創出しようと思って、具体的には4月9日に創立のところです。
裏話も含め、全体を明らかにしていくことも、このプロジェクトの仕事かと思っています。
いっそう個人の時代に生きていくための個人としての自立を目指して、です。


淡水日記170325

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<縁日の光景>
毎月25日は北野天満宮の縁日です。
ぼくは北野天満宮の近くに、子供のころからかれこれ60年以上も住んでいます。
子どものころ、小学生のころのことを思いだします。
母が露店の店を出すようになっていて、天満宮ではなにを売っていたのか。
駄菓子屋してたから、当てもん、手作りのふんまわしは父が作っていたのだろう。
参道の真ん中あたりの鳥居の横あたり、店を出していた、覚えています。
今となっては笑い話にしかならないけれど、貧しかったのか、親はいつも働いていた。
カメラを手にして、今日も小一時間、境内から参道の露店を見てまわって、写真を撮った。
どうしようかと思いながら、いつも撮るモノは決まっている感じで、撮る。
今更ながら、自分の居場所を探していて、記憶の中に天神さんの縁日があって、そこへ。
もう戻ってくるはずもない過去、記憶、そのなかへ感情移入してしまう自分がいる。
これ、この光景、現実ってゆうやつで、この世の光景なんだ、と感慨深く思ってしまう。
笛と太鼓の音が聞こえて、御神楽がはじまる。
途中から舞台の傍へ行って写真を撮る。
何枚撮ったのだろう、巫女さん、赤と白、それに太刀が光る、ぼくは何かを感じる。
エロスということであれば、そういう感覚かも知れない。
猿回しが来ていたけれど、囲む客が多くて入れなかったから写真は撮っていない。
露店で古着物を売る店先を写真に撮る。
小物を売る店先の写真を、これは隠れて、拒否されないように、撮る。
そんなこんなで一日の明るさが暗くなっていくんだ。

posted by utumitansui at 17:29日記

淡水雑記-10-

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<写真の新しい場所へ>
写真家の東松照明さんが京都に取材されていた1982年頃の話です。
東京でのワークショップ写真学校1975年、その後、沖縄取材中の宮古大学でしたか。
東松照明さんが撮影の拠点には地元の若い世代が活性化する、という話がありました。
京都へ来られた時には、京都が活性化される、という期待を持ちました。
まだフォトハウスという名前がなかったころ、中川においては映像情報のころ。
東松照明さんと組んで、いくつかの集まる場を設定しました。
若い写真愛好家が集まって、わいわい、がやがや、新しい潮流が生まれないか。
そういう場つくりをもくろんだのでした。
ここに掲載の写真は喫茶店<ギャラリー写真壁>で行った東松さんを囲む会。
結果として成熟していくことにはならなかったのですが、最近、此処にいた人に会った。
その人は昨年二科会の会友に推挙された方で、当時は高校生だったとおっしゃった。
何回か、こういう機会をつくって、新しい潮流をつくろうとしたが失敗でした。
でも<図書館に写真集を>1981年のムーブメントから大阪での<東松照明の世界展>。
自主ギャラリー<ザ・フォーラム>のオープンでは、かなり主流とは違う方へ来ました。
1984年11月、フォトハウス構想を公開する前史として、それは記憶されることです。
フォトハウスは、その当時の写真界の主流から離れ、周辺から立ち上がったのです。
いま2017年、フォトハウスを再生させますが、それらの前史が反省として役立ちます。
写真研究会の集まりは、なるべく写真から遠い所から、始めていきます。
閉塞した写真の世界を、新たなところに立たせて、開放していくために、です。

淡水雑記-9-

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<ネットで人格を創る>
バーチャルリアリティ、VRという単語をまま見聞きます。
仮想空間における現実と解せばいいのでしょうか。
フィクションの世界だという事でしょうね。
現実に、肉体的な目で見ている事象についても、夢幻のように感じることがあるかと思うのだけど、古事記以来の物語というもの、読んで頭の中に描ける図といえば、いってみればバーチャルではないでしょうか。
読む人の体験と照らし合わせてイメージが作られるわけです。
制作する側として思う事、ネット上のツールを使って、ある人格を創りあげる作業。
架空の、小説の登場人物のような、人格をネットワークの中に創りあげる。
このことに取り組んで10年ほどが過ぎます。
人間ってたいがいフェチな面があって、異性に興味をもって、セックスに興味あり。
そんなことナマの実生活においては、夫婦、恋人、という関係の中で成熟すること。
そういう側面を、バーチャル世界で、バーチャル人格で、小説を書く、日記を書く。
男が女に変身、女が男に変身、老人が若者に、若者が老人に、そういう世界が作れる。
そう思って、それらの総合がひとつの芸術の枠にならないか、と思っているわけです。
この領域は、シュールリアリズム領域なのかも知れません。
男が女をやるというのは、歌舞伎では女形があるし、舞踊でもあります。
そう思って考え見てみると、けっこう倒錯という言い方で括られる領域がある。
これは芸術のジャンルとしても成立すると思うが、芸術側は認めないですかね。
(続く)

淡水日記170317

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昨日、ビブレの書店に入って何か読み物をと探していたところ、花房観音さんの愛欲と情念の京都案内という本を見つけたのでためらいながら買った。文芸春秋を買おうかと思って、ためらい、花房観音さん、どんな文体なんだろうかと興味津々で買ったというわけです。ツイッターで彼女の記事を読みます。略歴等はここでは書かないですが、なんとなく意の通じるところがあるように思えて、注目しているところです。文章にふれるのは初めてで、まだ数ページ読んだだけです。というのもぼくも小説を、物語りを書こうとして、実際に書いていて、それをどうしようかと思っているところです。

幻冬舎のアウトロー文庫、河出書房新社の河出文庫、フランス文庫の文庫本、それなりにたくさん読んできたなかで、そういうジャンルの文章を書きたいと思って、手掛けだして10年になるところです。匿名で書いているのでここでは明かしませんが、いま日課のひとつになっているところ。小説三つを並行で書いているところです。ネットに奇譚クラブ、風俗草紙などの文献というよりページのコピーが載せられています。それを発見して数年になりますが、参考に、小説を読までてもらって、参考にしています。まともな文章が書けないようになって、ほおけているところです。

載せた写真は、フィルムで撮ったコマをスキャンしてあるものです。1980年代の初めごろに撮ったのではないかと思っています。フィルムで撮ったモノクロ、カラー、数年前からスキャンして、デジタル化しているところです。まだまだ残っているけれど、大まかには釜ヶ崎、白虎社、京都、このシリーズは前のスキャナーでまとめたところです。それ以外のフィルムのコマを、順次スキャンして、使えるモノは使おうと思っています。ただ、えろすがらみの写真や映像は、極秘です。ネットで拾う画像は、匿名のえろす小説とかに使っています。なにしてるこっちゃ、と自分ながら、仮面をかぶっていることに、あまりいい気はしてないなぁ。


posted by utumitansui at 13:58日記