愛の物語-26-

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<誠二>
 誠二は寿司屋の住み込み店員を辞め、自動車の修理工場で仕事をするようになりました。正月が終わり、一月の半ばが切り時で、モータースがある千本丸太町の近くのアパートへ引っ越してきたのです。寿司屋では住み込みだったから、引っ越しといっても家財道具はなにもなく、衣服と夜間高校の教科書くらいです。日曜日の引っ越しで、京子が手伝いに来ました。
「ねぇ、誠二くん、これで、日曜日、会えるね、うれしい、わたし」
口紅を塗った唇は赤い。京子は、美容院へ通い、髪の毛を整えてもらっています。下着も買い揃えたし、上着も月賦で買いました。その京子が、誠二のアパートへ来た最初の人です。
「狭いけど、一人やし、寝るだけやし、これで十分やわ」
アパートは木造の二階建て、建物の真ん中に広めの玄関があります。玄関には下足箱があり、部屋の番号が振ってあります。真ん中が廊下で、その両側に部屋があります。誠二の部屋は二階の端の部屋で、一階と二階、そこだけが三畳の間です。
「買い物にいかんとあかん、布団とか、買わないと」
誠二は、部屋を確認したあと、京子と一緒に買い物にでます。寝具を売っている店が、千本の出水にあって、そこで布団を買うことにします。京子が織子をしている泉織物の工場から近いところです。寝具一式を買うというので、お店のおばさんは、京子と一緒だったから、二人で棲むための寝具だと思ったようで、シングルのセットを注文すると、妙に京子の顔を見て、これでいいの?、言葉には出さなかったけれど、そんな表情で一式をそろえてもらえました。荷物はリヤカーを貸してあげるというので、リヤカーに積み、誠二が真ん中を押し、京子が横に付き添ってアパートへと戻ったのです。
「狭いお部屋ねぇ、でも、いいなぁ、わたしのところは、寮だから」
荷物を運び終え、一段落して、電熱器に小さな薬缶に水を入れ、お湯を沸かしだす京子です。
「がんばるわ、おれ、がんばてみるわ」
お茶の葉がなくて、白湯のまま、新品の湯飲み茶わんに注ぐ京子。
「わたし、お茶の葉とか、揃えてきてあげるわ」
「寒いなぁ、コタツ、買わなくっちゃ、電気こたつ」
京子は誠二より一年上の18才。精神年齢でいえば京子の方が大人。お姉さん。三畳の部屋に入ったとたんに、誠二の世話をし京子です。白湯を飲み終え、リヤカーを返しに行きます。リヤカーを返すとき、その寝具店で、ホームコタツ用の布団を買い、帰りに千本通りに出て角の電器屋で、小さなホームコタツを買い求めました。

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愛の物語-27-

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 昼間はモータースで自動車修理工の見習いをしながら、夜には学校へ通うことになった誠二です。アパートの名前は春秋荘。京子が、まるで自分が住むとでもいうように、生活の小道具を買ってきて、誠二の世話を焼くようになったのです。京子はアパート暮らしとはいっても会社の寮だから、平日は自由がきかないし、食事も会社の賄いだから、誠二と一緒はできないのです。誠二は、平日は、見習工と学校で、以前には水曜日の夜、喫茶店で京子と会っていたけれど、それはもうなくなりなりました。それから土曜日は、同僚の茂子と一緒に夜の食事をするので、誠二と毎週は会えないのです。でも、茂子が専務と会う土曜日は、京子の夜は空いているので、誠二のアパートで食事をするのです。
「うん、そうなの、茂子は、専務さんと会ってるんよ、そうなのよ」
「そうなんや、それで京子は、おれの部屋に来れるんや」
「フライパンで、鮭、焼いてあげる、ごはん、炊いてあげる」
電熱器が赤くなって、鍋でお米を炊いてごはんにし、フライパンでスライスした塩鮭を二切れ焼く京子。ホームコタツの天板にごはんとおかずを並べて、向き合って、食べるのです。
「京子、高校、受けるんやろ、書類、揃えんならんよ」
「うん、わかってるけど、中学で、内申書、もらうんよね」
「そうだよ、おれ、手続きしてやるよ」
もう期日いっぱいです。でも京子には、それほど高校へ行って勉強したい、という意欲も薄れているところです。高校へ行くとなれば、泉織物の仕事では、通学のための配慮をしてもらわないと通学できないと思われます。実際に、女子で夜間高校に通っている織子はいませんでした。
「わたし、会社、辞めて、アルバイトに、しようかなぁ」
京子は、あの化粧品を揃えてもらったお店、すえひろのきみこ店長から、何度か買い物をしているなかで、アルバイトだけど、店員にならないか、と声をかけられていたのです。泉織物で仕事をし出して足掛け三年です。京子は、自由になりたい、と思うようになっていたところでした。

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愛の物語-28-

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 誠二は、なにかと世話をやいてくれる京子の顔が、頭のなかでぐるぐると巡ってきます。京子は女子だから、恋の対象です。小浜の中学を卒業して、京都へ働きに出てきて、夜間の高校へ通う誠二ですが、年齢はまもなく18才になるところです。中学で好きな女子がいたけれど、卒業してしばらくしたら、その女子を思うことは退潮してしまいました。通う高校のクラスにも女子がいますが、気になる女子は現れてきませんでした。そんな日々のなかで、秋、一歳年上の京子が、現れたのでした。そういえば、京子の方が積極的に、誠二に近づいてきたといえます。水曜日の夜に、仕事を終え、食事を終えた京子が、白梅町の喫茶店ホワイトへ、学校帰りの誠二に、会いにきていたのです。誠二が寿司屋の住み込み店員を辞め、モータースへ自動車修理工の仕事見習いに転職して、日曜日が定休日になって、織子をしている京子の会社の定休日と合うようになったので、日曜日には京子が誠二のアパートへ来るようになったのです。そういう道のりのなか、誠二は自慰のときには京子の顔を思い浮かべ、京子を待ち焦がれるようになったのです。
「誠二くん、わたし、今月で、会社、辞めるの、高校に行くから、手続して」
「そうなんや、会社、辞めて、高校生になるんや、入学試験、受かると思うよ」
入学願書は誠二が書くのを手伝ってくれました。京子は、高校へ願書を持って行くときも、誠二に同伴してもらって、事務室で、受験の手続きをすませたのでした。まだ泉織物の寮になっている渚アパートの住人だから、郵便は届きます。合格の通知が送られてきて、入学手続きの書類を書いて、京子は直接、高校の事務室まで持参しました。
「うん、わたし、高校生になるんや、中学の友だちは、もう卒業やけど、わたし」
年下の誠二が三年生になるときに、京子は一年生で入学します。定時制の高校だから期間は四年です。
「いっしょに勉強できるね、京子」
京子が誠二を呼ぶときはくんをつけるけれど、男の誠二が京子を呼ぶときは呼び捨てです。
「勉強、教えてやるよ、高校一年の勉強、教えてやるから、安心しな」
「そうよねぇ、中学出て、もう三年過ぎるんやもん、教えてね」
「まあ、まかしとけって、教えてやるよ」
「わたし、いまいる部屋、寮やから、出んならんけど」
「そんなら、住むとこ、どうするん、ここは狭いから、あかんやろ」
「うん、次、決まるまで、すえひろのきみこさんの家に居候させてもらうの」
「そうなん、ええやん、京子、化粧品屋さんに勤めるんやろ、もうすぐ春やから」
誠二の部屋へ来て、一緒に住むなんてことは、思いつかないわけではなかったけれど、いずれ近いうちに同棲することを感じさせる誠二と京子です。

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愛の物語-29-

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 ショパンの幻想即興曲というピアノの曲を、音楽の時間に、宝幸先生から聴かしてもらって、誠二は、その音色にとっても感銘を受けました。この話を、京子にすると、京子は、そのピアノの曲を知っているといったので、誠二は驚きました。
「わたし、ね、ピアノの音楽、好きなの、寮でレコード鑑賞会があったのよ」
もう織物会社の女子寮になっていた渚アパートからは出ている京子でしたが、ひょんなところから、誠二が話題にしたので、ありったけの知識で、京子は応じたのです。
「宝幸先生って、音楽家なんだ、高校で教えてもらってるお年寄りだけど」
「学校へ行ったら、その先生に習うのかしら」
「音楽は、選択なんだ、美術とか、ある中から選ぶんだよ」
「それで、誠二くんは、音楽を習っているわけ」
「入学式は4月8日だろ、その次の日から、おれら始まるんだ」
「学校で、会えるね、いろいろ、教えてね」
高校を卒業する年齢になって入学する京子です。中学では成績は悪くなかった京子です。でも、勉強をするのが好きではなかったから、学校の推薦で京都西陣の織物会社へ就職したのです。
「そのレコード、買いにいこうか、中立売の森山レコード店へ」
誠二の部屋にはポータプルラジオがあります。レコードプレーヤーもあります。レコードさえあれば、聴くことができます。思い立って、京子と一緒に、森山レコード店へいきます。
「そうなの、ショパンの幻想ねぇ、これだ、これ、何曲か入ってるこれだ」
レコード店の店主さんは優しそうに話されます。誠二と京子を、レコードボックスからジャケットを選んで、試聴するかと訊ねられたので、誠二は、試聴すると答えて、店内にピアノの曲が流れてきます。
「これでいいかい、LP版だ、輸入物だよ、二千円だよ」
誠二は、京子もいることだし、高いから買うのをやめる、とは言えなくて買います。春秋荘へ戻って、レコードプレイヤーをラジオにつないで、聴くことにしました。ショパンのピアノ曲、幻想即興曲、誠二は、学校の高級なスピーカーではないけれど、京子と一緒に聴くことで、なにやら、感動する気持ちが起こってきたのです。

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愛の物語-30-

-30-
 誠二は、京子のことを女子として意識しだします。恋心が芽生えてきて、淡く化粧する京子の匂いを、そよ風のなかに感じるのです。寒い朝から、温かい風を感じるようになった日曜日、お昼前には京子が春秋荘へやってきます。モータースの仕事は休みだし、京子がアルバイトするようになったすえひろも定休日です。
「うん、ねぇ、誠二くん、お昼、おうどん、たべるでしょ」
電熱器に春秋荘で生活するぅようになって、二人用の土鍋を買った誠二と京子です。おうどん二玉、土鍋に入れた水にダシの素を入れ、煮込みながら、生卵をふたつ割って入れ、海老の天ぷらをふたつ入れるのです。なべ焼きうどんが出来上がり、ホームコタツのうえに置き、それぞれにお茶碗に取って食べだします。
「ねぇ、ねぇ、誠二くん、わたし、ねぇ、好きなのよ、おうどん」
「うん、うん、京子がつくるのん、美味しいわ、ほんとだよ」
「ありがとう、作り甲斐があるわ、わたし、誠二くん、好きよ」
さりげなく、京子が、誠二のことを好きだと言ったのです。好きだと言われても、誠二は恥ずかしくって、自分も好きだ、とは返せません。
「だからぁ、誠二くん、わたし、うん、なんでもないけどぉ」
鍋のうどんを食べ終えて、鍋を狭い流しに置いたあろ、ホームコタツのまえに座った京子が、向き合っている誠二の手に、手をかぶせてきます。京子は、誠二の指を握りしめます。誠二は、ドキドキ、なされるがままに、京子の顔を見上げると、京子が誠二の顔を見ているのです。
「わたし、誠二くんのこと、もっと、知りたい」
自分を見ている京子の表情が、しっとり潤んでみえます。薄く塗られた口紅が湿ったように思える誠二です。ドキドキ感を誠二は、どうすることもできないまま、京子へ、言葉を返すことができないのです。京子が手を離します。そうして、お手洗いに行くと言って、部屋から出ていきます。部屋に戻ってきた京子は、誠二に、レコードをかけてほしいといいます。この前に買ったピアノのレコードのことです。
「うん、ショパンのピアノの曲だよ、かけるよ」
サアーっというレコード針の音に交じって、ピアノの音がポータブルラジオのスピーカーから聞こえだします。誠二には、京子が、目の前に見えます。畳に足を崩して座っている京子。茶色のフレアスカートは、崩した足の膝上です。ピンク色のふわふわセーターを着ている京子。俯いて、ピアノ曲を聴きながら、うなづくように首を縦に振る仕草の京子です。誠二は、戸惑いながら、京子が膝上に置いた手に自分の手を置きます。京子は、ううなずく首を止め、つむいたまま、表情を変えないまま、誠二の手を握り返してきたのです。京子の手は、温かい感触です。柔らかい感触です。
「ああっ、ああっ」
京子が、かすかに、息が擦れるような声を洩らしたのを、誠二が感じます。ピンク色のセーターに茶色のスカートを着た京子を、誠二は初めて感じる女子として、意識します。生足の膝が、生々しく思えて、からだの芯にズキズキっと痺れが走る感覚です。京子から手を離す誠二。男のモノがむっくりとしてきて、からだの変調がわかります。これ以上、誠二と京子の間には、なにも起こらなかったこの日です。

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愛の物語-31-

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 誠二は18歳の誕生日を迎えて、見習いで勤めだしたモータースの好意で、普通運転免許を取るために教習所へ通わせてもらえるようになりました。教習所の費用は、モータースの社長から出してもらえることになりました。そのかわりの条件として、三年間は自分の整備工場で働いてほしい、とうことです。誠二は、それほど深く考えることもなく、その条件に了解して、免許取りの便宜をはかってもらえることになったのです。平日の昼間に二時間を免許証を取るための自動車学校へ通います。単車の免許は16歳になったところでもらったから、誠二には自動車免許へのバージョンアップです。
「そうなんよ、免許取りに、四条の教習所へいくんだ」
「そうなの、よかったわね、仕事にも使えるのよ、ねぇ」
誠二の報告に、京子は笑顔で応えてきます。京子は、誕生月が四月なので、高校生になるとすぐに19歳になりますが、誠二が18歳で三年生になりますから、先輩です。梅の季節が終わって、桜の季節になるころ、四月になるところです。日曜日の午前に京子が春秋荘にやってきて、お昼ご飯をつくって一緒に食べます。簡単な調理しかできないタオルをひろげたほどの狭いキッチンですが、京子はうれしくてたまらないといった風に振る舞うのです。スラックス姿、上はブラウスにピンクのカーディガンを羽織った京子です。
「フライパンでお肉を、お醤油とお砂糖とお水で炊いて、卵をまぶして、お肉丼よ」
京子が料理をしている間、誠二は京子の横に立って、じっと料理される様子を見ます。じゅじゅじゅじゅっとフライパンのなかで細切れの肉が焼けてきて、お砂糖をいれ、お水を少しいれ、そのうえからお醤油をいれる京子の手先を、誠二はじっと見ています。
「いい匂いしてくる、美味しそう、おれ、肉、好きやねん」
155㎝の京子に、誠二は165㎝だから、少し誠二の方が背が高くて、手元を見下ろすかっこうです。京子の華奢でほの白い手の指先を、誠二が見守ります。手際よくフライパンを動かしながら、調理していく京子を、誠二は、食べてしまいたいほどの衝動に駆られます。
「もうご飯炊けるでしょ、そしたら、卵かけ牛丼にするのよ、美味しいよ、きっと」
「腹減ってきたよ、京子がつくるご飯だから、美味しいやろなぁ」
「誠二くん、自動車の整備士さんより、お料理の調理師さんになったら、いいのに」
手際よくフライパンをあやつりながら、京子は、誠二にアドバイスです。誠二は、成り行き任せで自動車整備の道へはいってきたけれど、料理の調理師になるなんて思いもよらないことでした。卵かけ牛丼が出来上がって、ホームコタツのテーブルに丼をおいて、食べ始めます。
「美味しい、おれ、好きやわぁ、京子、料理、うまいんやから」
ぱくぱく、誠二は、まるで餓鬼のように、丼鉢に入った牛丼を、食べるのです。

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