淡水雑記-3-

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 高校に入学したのは1963年でしょうか、いま、指折り数えて計算しているところですが、三年生の秋に東京オリンピックがありました。そのころのお話しです。中学のころから知っていたM君、高校に入って同じクラスになって、よく遊んだというより、勉強をしたという方がいいでしょう。そのM君のお父様がお医者さんで病院を経営なさっているのを知りました。恋した人のことで真剣に悩んでいてたぼく自身、それはもう精神病じゃないかと思ってしまって、その病院を訪問して、診察を受けようかと思ったものでした。結局、訪問することなしに、診察を受けることもなしに、そのまま今に至っているのですが、自分では、その気があったと思うところです。男子16歳というのは感情多感な年齢で、好きな子ができて、その子に打ち明けられなくて、一人悩みます。どうしたはずみか、心の内をうちあけて、恋心を伝えたけれど、成熟しなかった。

 M君は病院の跡取り息子だったらしくて、高校一年は公立高校へ入学していましたが、次の歳には私立の進学高校へ転向していく準備をしていました。ぼくには事情がつかめていなかったのですが、M君はたぶん相当に苦痛だったのではないかと思えます。M君は、ぼくのもとへ、何度も電話をかけてきました。ぼくの家には公衆電話、赤電話が置いてあり、そこは道路に面していました。冬で相当寒い日の夜、八時ごろだっかたに電話がかかってきて、一枚の写真に写った女子のことを、執拗に訊いてきました。M君、そのAMという女子に恋していたのです。そもそも、その一枚の写真は、ぼくが学校へ持って行ったブロニー判カメラで撮った、一枚のクラス集合写真です。ぼくはSTという女子に、入学してまもなく恋していて、秋に、STの写真が欲しくてカメラを持って行って集合写真を撮ったのでした。まさにその写真に写った別の女子にM君は恋していたのです。M君とはその後、学校で会うこともなく、顔をあわせる機会もないままに、しだいに遠のいていきます。ぼくはSTと何度か会いましたが、それだけで終わって、二年生になってからは、顔を合わすこともなかったように思います。

 どこから話しをつなげていけばよいのか、恋した女子を忘れるために、ブラスバンド部を立ち上げ、熱中しました。高校は進学校だったし、ぼく自身も大学進学を思っていたところでしたが、勉強どころではなくなってしまいました。ブラスバンドの成熟、それなりに形を整え、秋の文化祭を機に、後輩に引き継ぎました。文芸部のグループと親しくなり、いっしょに行動するようになっていました。どうもぼくはその当時、かなり大人っぽかったようです。標準的高校生の意識レベルより大人っぽかったのか。そういう最中の修学旅行は九州行きでした。クラスは別々になっていたSTと顔を合わせることになって、一気に恋心がよみがえってきたのでした。延岡あたり、列車のなか、夜だったかも知れない、顔を合わせて、見つめあって、言葉は少なかったように思う。忘れていないことを告げた。でもそれで何事かが起こる、付き合いが始まる、というわけでもなかった。終わったものは、すでに終わっていたのでした。精神科の病院へは入院こそしませんでしたが、入っていて治療をうけてもおかしくはなかったと思えます。M君が死でいたということを聴いたのは数年前のことです。詳しくはわかりません、自殺したということでした。

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