淡水雑記-13-

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<フォトハウスのこと>
フォトハウス、その生成物語を作っておかなくちゃいけないな、と思うところです。
というのも古事記って書物があるけれど、この記述って、つまり自己正当化作業だったとか。
ことの正当化を図るために為政者がよくする手段で、嘘ではないが本当でもない、というような。
あっちこっちを張り付けて、物語にして、自分の正当性を世に示す、ということですね。
ということで、これから立ち上がるフォトハウス写真研究会を正当化してみようと思うのです。
キーワードは、関西の歴史あるカメラクラブを持ち出し、作家では東松照明さんを持ち出します。
というのも、ぼくが関係してきた過去を振り返って、その痕跡を関連付けて記述していくからです。
浪華写真俱楽部が大阪で創立されるのが1904年だと書いてあります。
ここが元祖です。
というのも、浪華写真倶楽部に集まった人たちが、全部とはいいません、一部の人ですが、1930年には大阪で丹平写真倶楽部を創立し、戦後1946年には京都において京都丹平が誕生します。
その後、1953年シュピーゲル写真家協会が設立され、京都丹平ひとつだった京都に1964年、京都シュピーゲルが生まれます。
1975年には京都シュピーゲルが、名称を「光影会」と変更して2017年に至ります。
このカメラクラブのまわりを囲むように、かぶさるように、朝日新聞社系の全日本写真連盟が、美術団体の二科会が、東京に本部を置いた全国支部組織を構成して、ヒエラルキーを構成します。
この構造は、2017年現在にもその通りであって、三つの写真倶楽部も健在です。
詳細は追って検証していきますが、フォトハウス写研を提案する中川が、この流れの中にいた。
1980年頃までですが、その中でどっぷり写真の勉強をしてきた、基礎を培ったと思うのです。
一方で、写真家東松照明氏の京都取材にあわすかのように、撮影助手的役割を担います。
東松照明氏とマンツーマンでのトーキング、理論だけではなく酒の場で本音らしきものも語られます。
フォトハウスの原形があらわれるのは、東松照明氏とのセッション、トークのなかでまとまります。
それが1984年だから、第一次、第二次のフォトハウス活動を終えて、2017年4月第三次がはじまる。
フォトハウス写真研究会は固定ではなく、生成しながら変容していく運動体として捉えます。
集まる場としての写真倶楽部と運動体としての写真研究会とが軸にあって、それが動くのです。
このことをいくつもの場面から記述していこうと思うところです。
写真はたまたま先日大阪城公園へ赴いて撮った一枚、これを載せておきます。