淡水雑記170621

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<自分研究について>-1-
最近、パソコンソフトのバージョンアップがあって、それからかと思うが、記述している途中で止まってしまって、書いた文章がおじゃんになる、ということが頻繁に起こります。以前にもよくあったことですが、これには困ります。でも、考えようによっては、その文章は発表しない、人目に晒さないほうがいい、とパソコンが判断してくれているんだ、つまり人工知能ってやつですかね。すざまじいじゃないですか、人工知能。でも、怖い時代になったのかも知れない。

ぼくの年齢はいまや71歳を過ぎましたよ。1946年4月の生誕だから、戦後まもなく。ここに載せた写真はある本の複写ですが、そこに現わされている時期は、ぼくの誕生から記憶が残っていない頃の出来事のことです。自分の作られ方というのを客観的に見れないかなぁ、と思っていて、客観と主観をクロスさせることで、自分の成り立ちが観察できるのではないかとも思うのです。というのも、表現研究、表現ということを研究する、という枠組みを設定したところだからです。

自分の作られ方、客観的に見れたらいいな。それと自分が人として動物として、本能に属する部分だと思うレベルにまで及んで、自分の作られた方を考察したいと思うのです。たとえば生殖本能は動物としての基本的な部分ですが、この生殖本能に基づく性行為、そのバリエーションとして文化領域にひろがる社会の中での構成とか。それから生存にかかる部分、食物のこと、住居のこと、それらが自分という生命体にまといつく外世界に対しての内世界。この内世界から外世界への発信が、表現ということになるのだろうと思うところです。