京都のはなし-1-

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 京都のはなし、といえば北野天満宮から入ろうか、それとも釘抜地蔵や千本えんま堂界隈から入ろうか、迷いながら、ここ北野天満宮の門をくぐることにしました。どうして冒頭が北野天満宮や釘抜地蔵やえんま堂になるのかといえば、ぼくの生まれ育った場所が、その場所に近い場所だし、いまもって、その地にいるという地場そのものだからです。生まれ育って現在もその場所にいるという、自分では奇妙にさえ思える関係に、はたして俯瞰して物語が描けるのだろうかと思うところです。でも、現代の創作原点は、意識と記憶と現場、ここに求められると思うのです。<京都のはなし>は、事実に基づきたいと思っていますが、登場人物は仮名で、半分フィクションにしていけばいいのかな、とも思うところです。自伝的なところもあるし、京都学的なところもあるし、読み物として描いていければいいかと思うところです。
 平安京が造営される都、京都と呼ばれる区域の北西になる郊外に位置しているのが北野天満宮なんですね。ぼくは、文献なんぞはほぼ紐解かなくて読まなくて、巷の光景と由緒が書かれた札を読む、それだけの知識の記憶で、フィクションしていこうと思っています。北野天満宮を南から参拝する、東から参拝する、もちろん北からの参拝もあるわけですが、ぼくの参拝の仕方は北からの参拝です。裏からといったイメージで、南や東から参拝すると、一番奥になるところから始まることになります。北門から入ると、文子天満宮があります。文子と書いてあやこと読むのですが、この文子さんに、あるとき菅原道真を祀るようにとのお告げがあって、祠をつくって祀った場所が下京にありますが、ここ北野の地にもあります。北野社と言っていた。明治以前の神仏習合の時代には、仏さんもおられたようですが、今は神殿があり、神さまだけ、神さまといっても菅原道真が祀られているのです。ぼくには、ようわからん、生きた人間が神として祀られるということの意味がよくわからないんです。船岡山に建勳神社があり、ここは織田信長が祀られているんですが、これは明治になって造営された神社で、ようわからん、です。