淡水雑記171008

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 日本国内において発行や発信の写真や映像で、ウーマンアンダーヘアーが表立って目に触れることができるようになったのは、いつのことだったか。これは、それほど昔のことではないですね。その写真集はいまぼくの手元にはないから、正式な発行年月がわからないのだけれど、女優の樋口なんだったかさんのヌード写真集でしたね。ビニール本ではなかったように思います。日本における性風俗をあつかう書籍というか本や雑誌には、その部分を表してはいけなくて、これは現在においてもその通りであって、見せてはならないことになっているようです。ところが、アンダーヘアーについては、もう公然と表されていてもよいようです。とはいっても出版社やネット管理者のレベルで自主規制をかけているようなので、どこまでが表出可能なのかの、具体的なレベルはわかりません。

 世界の状況はよくわからないけれど、アンダーヘアーが写った写真というもの、日本よりもはるか以前にあったのかも知れません。これは考証するだけの資料をもちあわせてないから、何とも言えない。でも、1980年頃の状況でいえば、輸入写真集でヌードのアンダーヘアーには黒くマジックインクで塗りつぶされていたり、ナイフかなんかで擦って傷つけて見えないようにしてあるのもありました。もちろんアンダーヘアーだけではなくて、性器の露出、ということが、その奥にあるんだけれど、これは全くの開放だとはいえなくて、外国モノでも大人だけが見れるというような枠があるのではなかろうか。日本の状況でいえば、アンダーヘアーは解禁になったとはいっても、性器の露出は全面的禁止です。

 近年、浮世絵の春画が、日本では私設美術館で展覧会が催されました。浮世絵は絵画・版画であり、実写ではないからリアルな描写のそれを公開しても罪にはならなかったのでしょうか。静止画である写真や動画である映像は、現物がカメラの前にあって写されるということが前提だから、公開してはいけないのでしょうか。よくわからないですね。ただ、ネットの時代になって、通信網が国境を越えていて往来できるようになった現在、日本国内においても外国のサーバーにある画像や動画を見ることができます。かって1950年代だったか、読売アンデパンダン展に吉岡なんとか氏が女性器のクローズアップ写真を展示しようとしたところ、展示を断られたという事象がありました。まだまだ禁句の状態におかれているこの領域ですが、アートを考え、表現を考える領域において、ぼくは排除できない部分だとおもうんですが、いかがでしょうか。



淡水雑記170928

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 新世界には通天閣があります。通天閣といえば大阪。大阪の古臭い、ダサい、大阪のシンボルみたいなものでしょう。このまえ、久々、とはいっても一年ぶりくらいでしょうか、通天閣の見える新世界へ行ってみたんです。カメラを携えているから写真を撮りました。通天閣が写り込むようにとアングルを考えるわけです。日本国民の、といえば大袈裟すぎるか、大阪のシンボル的存在ですから、写真の説明をしなくても、新世界で撮った写真だ、とわかるんですね。すごいもんです、見る人の知識の中にそれは埋め込まれていて、写真を見ることで、その知識の光景が浮かび上がってくるんでしょうね。とうことは、そこに写されたものが、どれだけ認知度が高いかによって理解のされ方が違ってくる、ということでしょうか。

 愛欲と情念の京都案内という単行本を以前に買って、目の前の書架に並んでいるんですけど、作者は花房観音という名の女性、団鬼六賞を受賞されている御方で、ツイッターに記事をあげておられるので、ぼくのツイッターによく載ってきます。小説家さんです。ぼくなんぞは、小説を書いているといっても、表に出していえる代物じゃないから、あまり口にしないですが、青年の頃から、表現の中心は文章表現で、小説を手掛けたけれど20代半ばになっても様にならなくて、もたもたしているうちに、写真表現にはまってしまった、というわけです。愛欲と情念、この言葉が、字面がかもす感覚、感情というもの、これ、人間の性、とでもいえばいいのか、いまだからこそ、かなり公然と話ができる世の中になってきたんですね。

 ぼくが最初に通天閣が見える処へいったのは中学三年生の夏休みでした。徘徊というか彷徨というか、今の言葉でいうなら「プチ家出」みたいなもの、冒険しに京都から阪急電車に乗って、当時国鉄の環状線に乗って、そこへ行ったわけです。今JRの新今宮駅ですが、そこから通天閣への道は、じゃんじゃん横町を通っていくルートでした。このまえ確認すると、じゃんじゃん通り、とかになっていましたね。若い女子グループが、この狭いじゃんじゃん横町を歩いていて、昔懐かし射撃場に群がって、前の商品めがけてコルクの弾を撃っていました。射撃といえば、初めて新世界を訪れた時よりも五、六年も以前で、昭和でいえば31年頃、天神さんの縁日で人形落としの射撃をよくやったものです。お金は、一回10円だったと思うけど、どこからどうしてもらっていたんだろうか、小銭、どうして手に入れていたんでしょうか。とりとめなく、淡水雑記です。

淡水雑記170917

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 このまえ大八木元治さんと明石へ撮影に行きました。大八木さんは聞くところによると戦後間なしにこの明石へ仕事しに来たというのです。闇市のあったという魚の棚あたり。大八木さんは懐かしそうに見まわしていやはった、昭和五年生まれで当年87歳におなりになる。その明石というと、魚が美味しい町というイメージですが、そのとおり、ぼくはアナゴを見つけて買いました。タコとアナゴに明石鯛、それからたこ焼きのような明石焼き、食べ物の話ばかりですが、食べることは、いまや最大の関心ごとです。もうこの年齢になると、孤立無援、世の中と交じることがままならないところですが、だから、食べることは、金さえあれば、食べられる。

 食のことが美術手帳に取り上げられて特集「新しい食-未来をつくる、フード・スタディーズ-」となって書店に並んでいるので買いに行ったところです。久々、本屋さんに入って、物色して、そそくさと買って持ち帰ってきました。編集長の岩淵さんはIMIに来ていたので1997年ごろの当時から知っている学徒でした。慶応大学の文学部で勧誘するのに応じて大阪にやってきた。いつのまにか美術手帳の編集長に就任されて、美術手帳は創刊号のころから集めて、フォトハウス資料室に所蔵していたのが、1992年の写真図書館設立のあと、そこに預けていて、今の名称は大阪国際メディア図書館ですが、基礎資料の一角を占めています。

 食のことは、2004年に総合文化研究所を立ち上げたときのコンセプトの基調をなすテーマでした。農産物をつくる百姓、最先端芸術家の定義で、テクノロジーの先端を使った芸術に対抗するがごとくアナログにて生産することの芸術化を実践する輩を最先端芸術家とパロディーしたところ、今になって、決してパロディーではなく、新しいアートの形になっていくというではないか、これはそのとおりだと思うところです。総合文化研究所、むくむく通信社、アグリネットの系列は、反グローバル化の道筋です。アートは食のことを含んで、生きることの本質を包み込まなくては成立しないと思うんだけど、いかがかな、食うことが先、セックスだけじゃだめなんです。

淡水雑記170822

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人の生き方というか、人の生き様というか、思うところが多々あります。
人のことはどうでもよくて、とは思っていませんが、自分のことを思います。
写真に写った人は、ぼくではありませんが、なんどか露店のところで知りあいました。
浮世とか、この世とか、現世とか、言い方いろいろありますが、現実の場のこと。
京都には蓮台野という地帯があって、ぼくのいるあたりは、そのとっかかりです。
生きてることと、あの世のこと、生きているから思うこと。
一昨日でしたが、龍谷ミュージアムの展示を、ひとりで見に行きました。
同じ展示を7月に文字さんと見に行った<仏教の思想と文化>です。
おおきな世界に包まれて、いま、自分の存在があるんだ、なんて悟ったり。
でも、生きていくことは、食料にありつかないといけません。
食料にありつくために、人はさまざまに努力しなければいけません。
生きてる限り、食べ物を求めていかないと、いけない宿命ですね。
なんやかやいいながら、よく、ここまで生きてこられたなぁ、と思うところです。

淡水雑記170820

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京都にいるから特にそうなのかもしれないけれど、仏教や神道に興味がわきます。
とはいっても、仏教のことや神道のことを、どれだけ知っているのか。
この年になって、あらためて、そういう領域の知識は得てこなかったと思う。
1946年、戦争が終わってからの生まれで、時代のせいだったのかも知れない。
とくに信徒でもないから、無頓着に、宗教心のない人間として育った。
戦争が終わって半世紀というのは、宗教が希薄な時代であったと思う。
でも社会の深い所で宗教思想が、流れていたのかも知れない。
龍谷ミュージアムの平常展でしたが「仏教の思想と文化」を観ました。
七月に観て、今日観て、二回観たことになりますが、深くはわからない。
「インドから日本へ」というサブタイトルがついている展覧会です。
資料が並べられているけれど、それぞれの内容が十分に理解できない。
理屈で理解するなんて無理な自分は、感覚的にわかろうと思うのです。
死に向かっている最中だから、その来迎のきもちを受け入れよう、です。
掲載写真とは関係なくはなくて、大文字の送り火を見る人々。
ぼくもカメラを携えて、大文字の送り火を見ていた部類です。