淡水雑記170816

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 このまえに縁日の売り物で、反った丸棒が置かれたイメージを載せたところですが、この写真はその反り棒の真ん中あたりに描かれた絵です。なんともまたこれは、男と女の交情場面、戯れあっている図です。この反り棒がなにに使われたのか定かではないけれど、いろいろと想像させえくれる代物ではあります。先の方がくびれておれば、あきらかにそれは男の象徴だとわかって、それを使われるのは、と具体的に想像することにあるのですが、これは、いったい、何に使うための反りあがった丸棒なのかとおもうところです。


淡水雑記170814

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 なにはともあれタブーとなっているのはセクシュアルな人間を語ることではないかと思うのです。その領域へ足を踏み込ませると、不謹慎のそしりで、下品にみられたりする感覚です。どういうことなのか、意識構造、この世には共通の価値観があって、その価値観に基づいて上品下品がマトリクス化されているんですね。ぼくなんかはマージナリーな人間だと思っているから、この世を支えている価値観の底辺部を見ている、見たいと思っている輩です。本質的なもの、根源的なもの、それを極めていかないと死ぬに死にきれないなぁ、と思ってしまうわけです。

 そういえば、写真表現で話題となるのは、やっぱり普通ではない、特別やなぁ、と思うようなイメージですね。もちろん体制を崩してしまうイメージというのは、その体制の中では禁じられるわけですが、そこのギリギリの処、ヘッジといえばよろしいか、縁、ヘリ、きわどいところ、ですね。ステーグリッツなんて高尚で上品ですが、アーバスなんてある種の極みで下品な領域で写真を撮るんですよね。どっちかいうとやっぱりアーバスの方が主流となりますね。その後のドキュメントというのは、ね。

 インターネットがなかった頃といえば今から20年前以前ということになろうかと思いますが、外国から入ってくる写真集に掲載の写真で、男や女の性器が写っているところには黒塗りがされていました。いまならネットの中の写真でモザイクがかけられたもの。そういう施しがなされていない写真が手に入らなかったかといえば、それは内緒で手に入れるyことができたようです。温泉場で売られていた写真、なにかしら陰鬱なイメージを醸しだす写真ですが、これは、いま、ネットででも見られますが、モザイクというかぼかしが入っていて、そこのところは見られない。といいながら、奥の奥で見られるようになっているんですね。ネットの時代、サーバーが日本国内でなかったら、無修正でおいておくことができるとの、もっぱらの噂です。そういう時代の現在です。

淡水雑記170801

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 いったい此処でなにを為そうとしているのか、はなはだ不明確になってきて、何を書こうかと思案に暮れるところです。思案に暮れるといえば、シアンクレールというジャズ喫茶が荒神口にあった。うんうん、あったあった、と頷かれる方がいらっしゃれば、その方はあきらかに1970年前後に京都にいらした方。学生だったら学生運動に関わっていらした方。

 1970年と記したが、じつは1968年にその、モダンジャズを聴かせる喫茶店の近くの大学に入学したものだから、そのあたりの出来事が頭の中を駆けめぐります。その空間は、薄暗い正方形のボックスだったような記憶です。学生で詰まっていて、たばこの煙がむんむんしていて、めちゃくちゃ大きな音量で、会話ができない。不健康だな、この記憶は、不健康極まりない。このように記していけば、ぼくのその頃なんて、不健康そのモノであった、なんて表記できるんじゃないか。

 載せている写真とは、何ら関係ないんですが、たまたま、思案に暮れるということばから、思い出が噴出してきたわけ。高野悦子って女子がいて、なんたっけ本、二十歳の原点でしたっけ、そこにこのシアンクレールって喫茶店が書かれていたように記憶していますが、だれか、認証してくれ。この写真に写っている代物は、何に使った代物なのだろうか、縁日の露店に並べられていた風景です。この棒には彫り物があって、その彫り物は男と女の交情場面なのです。

淡水雑記170704

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今日は午前中、上京診療所へ診察を受けに行ってきました。
血圧が高くなって治療の薬をもらいに行きだして一年半ほどになります。
その他は、元気そのものとは思っているけれど、老体であることは間違いない。
疲れる、ぐっと気持ちが入らない、浮ついている、感度が鈍い、等々。
老人特有の兆候がいっぱいあって、外から見れば老人そのものなんでしょうね。





淡水雑記170701

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 ここには文章を載せているから、文章を載せようと試みているから、ついつい億劫になってしまって、ブログの更新ができにくい。文章を書くという意欲が退潮気味で、うっとおしいというかめっどくさいというか。文を書くというのは、体力がいるんだと思います。けっこう頭を使うし、脳の消費エネルギーもけっこうなものだと思えます。どないしょうかな、淡水というのはペンネームです。古希をこえた男が、その生きざまを綴るという試みなのですが、どうなんでしょうか、続けられるんやろか、思うところ大です。