淡水雑記171231

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 ピエタの像、マリアに抱かれるピエタさま、というところでしょうか。どうしたわけか、手振れが起こっていて画像がぶれていますが、撮るときに心がふるえていたからだとも思っています。もう十数年前のイタリア旅行のときに、撮った一枚です。いま、ちょうど、大晦日の午後二時です。ベートーベンの第九交響曲を聴いています。第二楽章あたりをやっています。トスカニーニ指揮、1952年録音、でしょうか。もう半世紀以上も前の演奏ですね。音響設備が、どんどん良くなって迫力ある音に再現されますが、それでいいというのではないですね。内容、なかみ、それが一番の関心ごとにならないといけないはずですね。なにごとも外見ばっかりで中味の事がおろそかになる、というより論じられることが少ないですね。この中味とは、それが人間個人の感情に、どう入っていくのかということでしょうか。

 感情のことが表面に起ってきて論じられるという手法あるいは内容は、たぶん、最近のことではないでしょうか。ぼくは主たる論の現在形は、この感情というか、情に根ざした論を書き込むことではないのか、と考えています。大きな世界の出来事を、事実だとして論じる論じ方も必要であろうと思いますが、そうではなくて小さなことかも知れないけれど、情のこと、情の事、情事なんていうちょっと裏側的なイメージの言葉にみちびかれていきそうですが、そうではなくて、情のことです。なに?、不倫ってことをマスコミがとらえます。マスコミと言ってもスキャンダルな側面で、週刊誌ネタですね、正当な社会からは、情事はいけないこととなるようですね。でも、多くの人の関心ごとが、そういうスキャンダルを好む、とくに性にまつわるスキャンダルは興味津々ということでしょう。

 表現において、情を主体にするというのは、現在形の有効な考え方だと思っています。タブーにしてはいけない。そう考えています。でも、それは淫らなとか、不健全とか、なにか別のモノという感覚で捉えようとしているところで、芸術の真髄を否定したらいけないよ、と言いたいところです。心のあり方、精神の真髄、それらは人を愛するという基本的なところに立って、物事を考えないといけないと思うのです。第九の合唱のところです、心が洗われるとは、こういう感覚をいうのでしょうか、細い、繊細な、愛情の滴り、とでもいえそうな音です。ピエタの像もベートーベンの第九も、日本的じゃなくて、ヨーロッパ的ですね。これはぼくが」受けた教育によるところから来ている感覚です。戦後からの半世紀は、日本的なんてことは主たる関心ごとからは排除されてきたように思えます。そうですね、ここは日本、極東の文化のなかです。

淡水雑記171223

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何度かにわたって寫眞と題して、一回に10枚の写真をアップしてアルバムを作っています。ここ最近は奈良の香具山へ取材にいって撮った写真、順次、第一セレクトの段階の写真を載せています。神代の出来事なんて、事実ではなく、想像のたまものだといっても、けっこう興味ある領域になってきています。これは人生、長老になってきて、想像力の世界がひろがっている証拠のようにも感じていて、それを受けとめようという心理です。若いころには実存主義だ、弁証法だ、史的唯物論だ、哲学的なあの手この手を身につけて、語って、それらの知識で自分という鎧をつけようと思っていたように思います。いま、古希を迎え終えて、いまさら、そんな論理より、想像力、空想力、そういった雲の上の出来事のような、ふわふわに興味を持ち、そのなかで生を終えていければ、幸せなんだろうな、と思うようにもなってきています。

かなり昔の、といっても所詮60年ほど前の光景ですが、写真があります。それをここにコピーして載せます。ここには自分も写っていて、気恥ずかしい限りですが、長年、写真とは何か、なんてこと考えてきて、いまだに結論なんて導けていないけれど、ロラン・バルトは母が写った写真をもって、一つの結論らしきものを導いたと思っています。その枠組みから写真についての論を導くならば、ぼくが写った写真、ぼくの家族が写った写真、これらの写真が持つ、その意味を問うことから、もう、写真を離れて、これは哲学だろうか、論理学だろうか、理性で説くより情で説く方が理にかなっているようにもイメージしています。情なんですよ、情感なんですよ、それの伝達媒体が写真という静止した画像の示す意味、分かりにくいな、写真とは何か、ということの答えに近いところで、情、という感覚かも知れないと思うのです。
(続く)

淡水雑記171201

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 12月になったというだけで、気持ちが忙しくなってきた感じです。寒くなってきたので灯油のストーブを入れたけれど、ムッとするくらい暖かい風が吹き出ています。なにから手をつけようかな、と迷います。ここにあげた写真にしても、載せたい写真があるけれど、それをここに載せるとイメージに合わないから、と思うと何を載せようかと、けっこう迷ってしまいます。ここへ来て、この記事を書くのが、今日の最初の記事です。書いておかないといけないブログとか、優先順位からいうとここはどうでもいい順位です。むしろ、本音近いところだから大事にしているけれど、あまり優先できないと思うのです。ここは創作、小説、フィクションのレベルで扱いたいブログだと思っています。淡水なんて名前にしても、どうやらいかがわしいイメージがしていて、最初にはけっこう迷ったペンネームなわけです。

 いまさら文学賞なんて狙ってなんていませんけれど、それなりの文章を書きたいな、とは思うところです。17の頃に詩集を出した。たいしたことないです。ぺらぺらのガリ版刷りの詩集です。三号を編集中に辞めてしまいました。こうして記憶をよみがえらせると、その当時の出来事が、つまり詩集を発行するという作業の背後にあった思いというか感情を思い出してきます。昨日、バスで徘徊していて、卒業した高校の前を通りました。その当時から半世紀が経っているから、市街化された周辺は様変わりしています。その光景と、記憶の光景が交錯して、バスの窓から見る学校の、校舎の、そこらへんに彼女らがちらついて見えるじゃありませんか。妄想というか幻想というか、現実には記憶の像でしかないけれど、かなりはっきりと見えるわけです。その後の今に至る人生の大きな屈折点がその時のなかにあるように思えます。今もってです。

 フォトハウス表現塾なる考えを形にして、昨日、写真講座を受けて頂く人を募集しはじめました。広報というやつです。共同でやりたいと思って、今年の春先から紆余曲折、あっちいったりこっちにきたりで、紆余曲折。なによりも金を使わなくて、収益もあまり考えられなくて、事業といっても些細なことなのに、これしかできない。金をかけて、場所を確保したりパンフを作ったり、もちろんそれらには対価が支払われるわけですが、ぼくにはそういうお金がないから、ひとの善意に頼るしかないところです。なにかしら、空しい気持ちになりますが、負けてはならない、やられたらやりかえす、そういう思いだけが頭の中をよぎるのです。ここから成熟していくことを、願ってやまない気持ちです。こういう無資本のプロジェクトに賛同していただけるメンバーが集まっていければいいんですが、善意だけではやっていけないのかも知れないですね。



淡水雑記171109

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 京都の観光地へ行くと、なんだか着物姿の女子がやたらと多いですね。西の観光地、嵐山へ行きましたが、レンタルの着物を着て、京都の土産に漬物を買う、なんて光景に出くわしました。漬物が、どうして京都を代表する土産になったのか、それは、ぼくには、どうしてだかわからない。まあ、でも、イメージを作りあげるディレクターがいて、長年にかけて京都イメージの中に組み入れてきたんだと思う。漬物でいえば、千本通りの今出川から寺之内にかけて漬物屋さんがあります。ぼくの子供の頃には小さなお店という感じで、お漬物屋さん。いまや、観光ブームに乗ってかどうかは知らないけれど、有名店になって、店の構えもいかにも京都というイメージで造られているんですね。イメージを作るかというのは、いまや、表現の基本でしょうね。

 作られたイメージの町、京都です。長年、というか生まれてこのかた、京都に住んでいる自分としては、観光客にもなりきれず、地場の住人にもなりきれず、なんともはや中途半端な気持ち、つまり居場所がない感じがしてならない。京都の人間には、表と裏があって、複雑系だと言われているようですが、別にそれは理屈であって、人間には、そういう側面があるのではないでしょうか。特に近代以降の人間といえるかどうかわからないけど、偏屈で、内面で何を思っているのかわからない。たぶん文化度という尺度で計ったら、内面の発達というか、自分を考えるサイクルがあるんじゃないか。自分を考えるサイクルって、内面そのもので、他者が介入する余地がない、そういう領域、内面ですね。話がとんでもないところへ来てしまいましたね。

 人間の本能って生存するための条件を手に入れるために為すことで、食べること、生殖すること、そのために外観を飾ること、本能から派生してそれを実現するために競争原理の中に放り込まれる。人間には個々に資質というものがあって、闘争心の強いやつ、そうではないやつ、弱いやつ、そういうやつは生きにくい、負け犬ということか。どうなんでしょうかね、そういう強弱のある世の中、いつごろから生じているんでしょうかね。弥生時代になって、農耕が営まれるようになって、階級が作られてくると読んだことがありますが、それに先立つ縄文時代には、平等だったのか、あくまで想像にすぎないけれど、共助の精神だった、というけれど、闘争心は本能ではなくて、作られてきたもの、そうかなぁ、そうかも知れないけど、たぶん、生きる極限においては、力の強いやつが生き残る、でしょうね。


淡水雑記171105

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 訪ねた相手は不在であった、なんて太宰の小説の一説を思い起こします、斜陽でしたか、かず子さんでしたか、すがるような気持で訪ねた相手がいなくておうどんを食べる、という場面があったんですけど、それに似た気持ちでした。太宰といえば、ぼくは女生徒という作品がお気に入りでした。でした、という過去形ではなくて、たぶん今もお気に入りのはずです。というのも太宰の女生徒に触発されて、ぼくの現在の小説の大半が書かれたものだ、と自認しているから、そうおもうわけです。太宰がいまもって若い世代の人たちに読まれているということは、そういうことなんだろうか、癒しの文学、壊れいく精神を支えてくれる文学、小説、問いっていいのかも知れません。

 人間失格という、あの恐ろしい気持ちにさせる小説があるじゃないですか。もちろん、個人差があるとは思うけど、その子は、友達たちが言うほど、驚かなかった、と言った。それは、その子の魅力というか小悪魔的な感覚にさせる要因だったのかも知れません。老人の心をしだいにわしづかみにして、ああ、まるであの女生徒みたいに、見え隠れしながら、ぼくを深く傷つけて、どうしようもなく狂うほどに、繊細に、生命の起源を鋭いナイフで切り裂くようにして、きたじゃないですか。なんだったのだろうか、リセットしても、イメージだけは残されて、あとは時間が過ぎれば遠くの果てに行ってしまうとは思うけど、まだまだ、そこにまでは至っていません。

 もくろみの形としてはできたところですが、中身が伴わないからでしょうか、なんの肩書も捨てた人に興味を示してくれたとしても、くる人なんていないことがわかって、ここでまたリセットしながら、新しい関係を結べる可能性のところへ、船出しようとした矢先のことでした。失意のうちについえ去るのは、どうしてもできないから、せめて人生これでよかったといえる結果がほしいところです。内面の物語は、表現の対象になります。フォトハウス表現塾、ここに行き着いた旅人として、それがどのような形で残せるかということです。残された年月、時間、そんなにあるとは思えないから、切羽詰まってくるのでしょうか。もうやり直しがきかない、最後の砦だと思えるのです。久々に太宰のことを思い出しておりました。