淡水雑記171030

120tabi1710280016.jpg

 BL小説というジャンルがあることは知っていた。ボーイズラブということだ、ということだけど、男の子同士の愛、ということで、その内容については、ぼくにはわからない。一方で腐女子という呼び名を見たことがあって、腐った女の子、どういうことだろうと、そういえば10年ほど前に意識したこともありました。サブカルチャー、サブカルという領域があることは知っていても、具体的な内容はわかりません。昨日、ギャラリー176で開催されている高津吉則さんの写真展のトークイベントに参加したなかで、社会学というのか心理学というのか、そのレベルからのコスプレ女子たちへの、現象と内面の話のなかで、出てきた用語です。BL小説を読む女子のことを腐女子というのだそうです。BL小説を書く人は、男子なのか女子なのか、聞くのを忘れてた、女子なのか、男子なのか、興味ある処ですが、どっちもあるのかもしれません。

 性にまつわる恋愛とか、変質といわれる女装とか、実際には表立っては隠された領域の、人の内面と表装に興味があるといっても、具体的な考証とかに及んだことが無いので、昨日の話は、新鮮でした。ぼく自身が、小説を、ネット上でフィクションを試みているのは、そこに自分の興味の立脚点があるから、のような気がしてきます。たしかにそれらが世に隠れて多く発表されてくるのは、世相ということの内側を表現することなのかも知れません。ぼくの知る資料といえば、ネットで配信されている奇譚クラブらがスキャンされた領域で、男がつくる女の扱いそのもの、商用になったレベルの書籍だったり雑誌だったり、そのなかの記事であり写真でありです。動画は、最近のビデオ装置ができてからのものだから、今の時代、といえばいいのかも知れない。ネットを通じて膨大に保存されている領域で、それなりに見ることができる。

 今の時代、内面の時代、個人の内面を表に出すこと、これ表現すること、そのものだと思えます。小説にしては、私小説の領域といえばいいのかも知れない。写真=実写の静止画しては、私写真の領域といえるのだろうか。といって写真の私写真といえば、どのような作家の作品をいうのだろうか、いま、考えています。荒木の写真が私写真といわれているけれど、私と絵面・被写体との関係というのは、どういうことなのでしょうか。内面の性的なことをイメージに現わして、それのように思わせることだろうか。このときの「それ」とはなんといえばいいのか。セックスそのもの、性にまつわるそのことそのもの、男は女に、女は男に、それと男同士、女同士という感情の交流ということを思えばいいのか。ぼくはいま、ちょっとこれまで言及してこなかった領域に足を踏み入れようとしているような気がします。匿名ではなくて、実名でのなかで、表していくのがいいのかも知れないと。

淡水雑記171023

120kyoto1710180005.jpg

夜中には台風の窓をガタガタゆわせる音におののき眠られない思いを、目を覚ませた今、思い出します。かなりの強風で、最近には珍しいような雨風の音だったように感じます。何度も目が覚めたけれど、ベッドにいたきりだったから、うつらうつらと眠っていたのだと思う。朦朧、定かでない、夜中の時間のことは、まるで別世界です。内なる世界、そとにひろがる空天の宇宙のように、うちにひろがる身体の内面が、とてつもなく異様な世界へと導いていくかのようです。小野篁だったか、あの世とこの世を行き来した、と言い伝えられていますが、あれは、じつは、昼と夜の世界の違いを言い当てたのに違いない、と思えるのです。

いくつかの事象が、思い浮かんでは消えていくなかで、先ほどの夜半は、自分が今起こした表現塾のこと、第一ステージで参加してきて今はいないメンバーの最近の動向のこと、衆議院選挙における自民・公明党の圧倒的有利だったこと、目が覚めて、新聞の見出しを見ると、三分の二を確保、とあった。怖ろしい時代になった、虚しい気持ちが込みあがってくる。ああ、80年も前の戦前というのも、こんな気持ちを抱いた人がいたのに違いない、と思っていまここにいます。政治の枠組みのことには、ぼくはほぼ言及しませんが、内心は、自分の信念みたいなものもあって、徹底的に野党、外野、イメージ的には底辺からの発想です。ロシア革命において起ちあがったルンプロの群、そのなかのひとりがぼく自身であるようなイメージがあるのです。でも今や、飢えたる者よ起ちあがれ!、なんて失笑してしまいますね。

第一ステージに参加されてきて、結局はぼく自身が撤退に追い込まれたときのメンバーが展覧会を開いているのだが、心情的に見に行くことができない感覚なので、やっぱり見送ろうと思うところです。これまでは、表敬訪問という感覚で、損得勘定もいれながら判断していたように思えるけれど、それはもう、自分に忠実になればいいのではないか、と思ったところです。気分の乗らないことには向いていかない、自分を認めてもらえて迎え入れてもらえるところへ、おもむけばいいんじゃないか、です。善意という気持ちが交差する処、それを究極のところ求めている気がしています。偽善じゃない、張りぼてじゃない、生きている感情を豊かな方へつくっていける関係を求めて、です。昨夜、孫ちゃんの誕生日会に同伴したけれど、娘の対応に交感が持てたことに、ホッと安堵の気持ち、雨風の中、自宅に戻ってきて、選挙報道と台風情報を交差させながら見聞きしていたところでした。

淡水雑記171008

120yama1710010015.jpg
 日本国内において発行や発信の写真や映像で、ウーマンアンダーヘアーが表立って目に触れることができるようになったのは、いつのことだったか。これは、それほど昔のことではないですね。その写真集はいまぼくの手元にはないから、正式な発行年月がわからないのだけれど、女優の樋口なんだったかさんのヌード写真集でしたね。ビニール本ではなかったように思います。日本における性風俗をあつかう書籍というか本や雑誌には、その部分を表してはいけなくて、これは現在においてもその通りであって、見せてはならないことになっているようです。ところが、アンダーヘアーについては、もう公然と表されていてもよいようです。とはいっても出版社やネット管理者のレベルで自主規制をかけているようなので、どこまでが表出可能なのかの、具体的なレベルはわかりません。

 世界の状況はよくわからないけれど、アンダーヘアーが写った写真というもの、日本よりもはるか以前にあったのかも知れません。これは考証するだけの資料をもちあわせてないから、何とも言えない。でも、1980年頃の状況でいえば、輸入写真集でヌードのアンダーヘアーには黒くマジックインクで塗りつぶされていたり、ナイフかなんかで擦って傷つけて見えないようにしてあるのもありました。もちろんアンダーヘアーだけではなくて、性器の露出、ということが、その奥にあるんだけれど、これは全くの開放だとはいえなくて、外国モノでも大人だけが見れるというような枠があるのではなかろうか。日本の状況でいえば、アンダーヘアーは解禁になったとはいっても、性器の露出は全面的禁止です。

 近年、浮世絵の春画が、日本では私設美術館で展覧会が催されました。浮世絵は絵画・版画であり、実写ではないからリアルな描写のそれを公開しても罪にはならなかったのでしょうか。静止画である写真や動画である映像は、現物がカメラの前にあって写されるということが前提だから、公開してはいけないのでしょうか。よくわからないですね。ただ、ネットの時代になって、通信網が国境を越えていて往来できるようになった現在、日本国内においても外国のサーバーにある画像や動画を見ることができます。かって1950年代だったか、読売アンデパンダン展に吉岡なんとか氏が女性器のクローズアップ写真を展示しようとしたところ、展示を断られたという事象がありました。まだまだ禁句の状態におかれているこの領域ですが、アートを考え、表現を考える領域において、ぼくは排除できない部分だとおもうんですが、いかがでしょうか。



淡水雑記170928

120osaka1709230028.jpg
 新世界には通天閣があります。通天閣といえば大阪。大阪の古臭い、ダサい、大阪のシンボルみたいなものでしょう。このまえ、久々、とはいっても一年ぶりくらいでしょうか、通天閣の見える新世界へ行ってみたんです。カメラを携えているから写真を撮りました。通天閣が写り込むようにとアングルを考えるわけです。日本国民の、といえば大袈裟すぎるか、大阪のシンボル的存在ですから、写真の説明をしなくても、新世界で撮った写真だ、とわかるんですね。すごいもんです、見る人の知識の中にそれは埋め込まれていて、写真を見ることで、その知識の光景が浮かび上がってくるんでしょうね。とうことは、そこに写されたものが、どれだけ認知度が高いかによって理解のされ方が違ってくる、ということでしょうか。

 愛欲と情念の京都案内という単行本を以前に買って、目の前の書架に並んでいるんですけど、作者は花房観音という名の女性、団鬼六賞を受賞されている御方で、ツイッターに記事をあげておられるので、ぼくのツイッターによく載ってきます。小説家さんです。ぼくなんぞは、小説を書いているといっても、表に出していえる代物じゃないから、あまり口にしないですが、青年の頃から、表現の中心は文章表現で、小説を手掛けたけれど20代半ばになっても様にならなくて、もたもたしているうちに、写真表現にはまってしまった、というわけです。愛欲と情念、この言葉が、字面がかもす感覚、感情というもの、これ、人間の性、とでもいえばいいのか、いまだからこそ、かなり公然と話ができる世の中になってきたんですね。

 ぼくが最初に通天閣が見える処へいったのは中学三年生の夏休みでした。徘徊というか彷徨というか、今の言葉でいうなら「プチ家出」みたいなもの、冒険しに京都から阪急電車に乗って、当時国鉄の環状線に乗って、そこへ行ったわけです。今JRの新今宮駅ですが、そこから通天閣への道は、じゃんじゃん横町を通っていくルートでした。このまえ確認すると、じゃんじゃん通り、とかになっていましたね。若い女子グループが、この狭いじゃんじゃん横町を歩いていて、昔懐かし射撃場に群がって、前の商品めがけてコルクの弾を撃っていました。射撃といえば、初めて新世界を訪れた時よりも五、六年も以前で、昭和でいえば31年頃、天神さんの縁日で人形落としの射撃をよくやったものです。お金は、一回10円だったと思うけど、どこからどうしてもらっていたんだろうか、小銭、どうして手に入れていたんでしょうか。とりとめなく、淡水雑記です。

淡水雑記170917

120tabi1709090032.jpg
 このまえ大八木元治さんと明石へ撮影に行きました。大八木さんは聞くところによると戦後間なしにこの明石へ仕事しに来たというのです。闇市のあったという魚の棚あたり。大八木さんは懐かしそうに見まわしていやはった、昭和五年生まれで当年87歳におなりになる。その明石というと、魚が美味しい町というイメージですが、そのとおり、ぼくはアナゴを見つけて買いました。タコとアナゴに明石鯛、それからたこ焼きのような明石焼き、食べ物の話ばかりですが、食べることは、いまや最大の関心ごとです。もうこの年齢になると、孤立無援、世の中と交じることがままならないところですが、だから、食べることは、金さえあれば、食べられる。

 食のことが美術手帳に取り上げられて特集「新しい食-未来をつくる、フード・スタディーズ-」となって書店に並んでいるので買いに行ったところです。久々、本屋さんに入って、物色して、そそくさと買って持ち帰ってきました。編集長の岩淵さんはIMIに来ていたので1997年ごろの当時から知っている学徒でした。慶応大学の文学部で勧誘するのに応じて大阪にやってきた。いつのまにか美術手帳の編集長に就任されて、美術手帳は創刊号のころから集めて、フォトハウス資料室に所蔵していたのが、1992年の写真図書館設立のあと、そこに預けていて、今の名称は大阪国際メディア図書館ですが、基礎資料の一角を占めています。

 食のことは、2004年に総合文化研究所を立ち上げたときのコンセプトの基調をなすテーマでした。農産物をつくる百姓、最先端芸術家の定義で、テクノロジーの先端を使った芸術に対抗するがごとくアナログにて生産することの芸術化を実践する輩を最先端芸術家とパロディーしたところ、今になって、決してパロディーではなく、新しいアートの形になっていくというではないか、これはそのとおりだと思うところです。総合文化研究所、むくむく通信社、アグリネットの系列は、反グローバル化の道筋です。アートは食のことを含んで、生きることの本質を包み込まなくては成立しないと思うんだけど、いかがかな、食うことが先、セックスだけじゃだめなんです。