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京都の北、といっても現在の京都市内の北部、上京区から北区地域です。平安京が造営されるのが794年のことですが、その一条よりも北部地域を想定しています。そこは狩場であり、紫栽培地であり、芸術発祥地であって、ぼくは日本文化の、その精神の基底を成している処として捉えているのです。それをいくつかの系統にして、物語風に検証していきたいと思うところです。というのも、ぼくが生まれて育ってきた地域、ぼくの生活基盤を置いている地域が、京都の北、紫野の一角にあるからです。生活地域的には、北区と上京区にまたがる地域だし、昭和27年だったかに行政で北区が誕生する前には上京区であったし、それ以前には、愛宕、葛野、とかいう地名が冠されていたようです。
ぼくは宗教の場所から、その精神の基底が育まれるのではないかと、想定しているところで、そのことでいえば、上賀茂神社を最初にあげておこうと思うのです。平安時代からの祭りとして「葵祭」を有しているし、平安京造営以前から、加茂氏一族が住まっていたと聞く場所の象徴として、「加茂別雷神社」、通称「上賀茂神社」というのです。ぼくのこの意識も、いまは名前を伏せますが、その友人が加茂氏の末裔だとの話を聞いて、また加茂氏がいかにして今の地域に住みついたのかという歴史も拝聴したので、この物語を起こす最初のページは、これだ、と思っているところです。ぼく自身は、そういう事でいえば、何者だろうか、という疑問が、自分を知るという行為につながっていると思っていて、これまでに二度、京都の生まれ育った場所について詮索してきたところです。
第一期は1980年前後、カメラを持ってあちこちと取材していました。第二期は2008年から意識して「京都」を写真にしていこうとしていました。第三期がいま、これから始めようとする「京都北物語」です。ぼくが生まれ育ってきた主たる場所は、紫野のなかの柏野地区です。上京区と隣接していて、子供の頃の遊び場としていえば北野天満宮が中心となりました。祭は玄武神社の「やすらい祭」です。洛中洛外という区切りでいえば洛中にあり、仏教寺院でいえば、ぼくの菩提寺となっている寺は、法華宗の本法寺であり、室町時代の末期にあたるのでしょうか、京都文化の拠点が、本阿弥光悦、長谷川等伯など、今に至る作品を残す地域となると思っているところです。下書きなしで書き進めていくので、これは草稿です。メモの類かも知れませんが、行きつ戻りつしながら、書き進めていきたいと思います。掲載写真は上賀茂神社風景、2018.4.30です。