浪曼について

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浪曼という字ですが、ロマンの漢字表記として、浪と曼を合わせたように思えます。
誰がこの二文字を組み合わせたのか、浪曼の浪は「波」と同じでしょうか。
波のように移ろい定まらない、とか、とりとめがない、とか。
また曼は、ひく、ながい、うつくしい、とか。
この浪曼という二文字熟語に、なにかしらの感情を抱くことがあります。
日本浪曼派という文学のグループがあって、日本の伝統への回帰を提唱したとあります。
保田與重郎(1910~1981)が1935年に雑誌「日本浪漫派」を創刊し1938年に終刊とあります。
ぼくが日本浪曼派について書くのは、これが初めてで、深い知識があるわけではありません。
保田與重郎というお方についても、文学史の流れを掴んだぼくとしても、詳しくは知らない。
ところが、このお方のお名前は、高校生のころから知っていて、鳴滝に住んでいらしたと。
鳴滝とは、京都の西、双ヶ岡から嵯峨野につながる途中の地域です。

浪曼派はロマン派、日本のロマン派、文学の潮流として捉えたらいいのでしょう。
日本浪曼派は、先の戦争を容認することになる潮流を、作り出したのでしょうか。
創刊メンバーには亀井勝一郎らが加わり、同人には太宰治や檀一雄の名前もあります。
どうしたらいいのか、ぼくの文学史のなかには、素直に収まってくれない今があります。
その時代には、プロレタリア文学があり、私小説文学があり、耽美派文学があった。
日本浪曼派が大きな流れとして影響していた、とは思いもかけなかったことです。
いいえ、ぼくが学んだ文学史には、欠落していたと思うのです。
1946年生まれのぼくは、高校生になるのが1962年、戦後教育の真っ只中でした。
戦後教育はぼくが勝手につける名前ですが、右傾化した思想の内容は、排除でした。
今、ぼくは、日本浪曼派を賛美しようとの意図はなく、欠落してたのを補おうと思うのです。