雑記帳-1-

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京都にまつわる雑記-1-
千本通りは平安京の朱雀大路になるといいます。
千本丸太町の西側が大極殿跡で、そこから北へまっすぐで船岡山です。
平安京を設計するのに船岡山が北になって、そこが基点だというのです。
一条通りは、現在の中立売上がる、今出川下がる、東西の通りです。
平安京では一条が北の大路で、そこから北は野原、北に船岡山という地形です。
一条から歩いて10分ほどで上立売へ、その北に釘抜地蔵があります。
そこから歩いて5分ほどで閻魔堂に到着です。
閻魔堂には閻魔大王がいて、あの世へ行く入り口にあたるのでしょう。
この世での罪を吟味してもらって、判決を下されて、六道に振り分けられる。
この千本のこのあたりから蓮台野といわれていて、ここより北は墓場です。
死者埋葬地となっていく地域一帯で、鷹峯に至り、京北に至る、というのです。
鳥辺野、蓮台野、化野、というのが京都の死者を埋葬する地です。
死者を埋葬、と記したが、風葬、野晒し、木に吊るして鳥の餌、のようです。
白い布に巻いて棄てておくという死者の扱い方もあったのでしょうか。
衣笠山の衣笠は「きぬかけ」、死者を巻いた白い布で山が白く見えた、とか。
衣笠山は鹿苑寺・金閣寺の裏山になって、金閣寺の借景になっています。
死者をどのように扱ってきたか、ということに不謹慎ながら興味ありです。
もちろん生まれてくる誕生にも言及して、この世のことをクローズアップ。
死んでから、次に生まれてくるまで、輪廻というのでしょうか。
死者が甦るという考え方は、死への恐怖から逃れるための方策なのかも。
生と死、死から生へ、シームレスにとらえることで、本性を安心させた。
究極の行き場、この世に生きる人の内面の、いちばん安定する意識の場所のことです。
この世のそのような場所が、お寺であり神社であると思うが、相思相愛の場もそうです。
カフェって、神社仏閣ではなく、二人の場でもなく、しかし、その場と同質の在処かな。
こうして記述していると、なんとなくわかって、目に見えないけれど、見えてきますね。

雑記帳-2-

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京都にまつわる雑記-2-
京都だけではないとおもいますけど、地蔵盆という催事があります。
お地蔵さんをまえに、町内の子供を守っていただくお礼、でしょうか。
その意味は調べていないのでわからないけれど、お盆にあわせて行われます。
ぼくは京都に生まれて京都に住んでいるので、当たり前みたいな感覚です。
子供の時から、この日には、お菓子をもらったり、していたから、嬉しい催事。
ヒトの内面をつくる風土という空気みたいな感覚があるとすれば、これです。
先日、大文字の送り火があって、この週末にはお地蔵さんの催事。
まあ、大人の休みにあわせて催される昨今です。
京都が日本の精神風土を培ってきた現場ではないか、と思うのです。
どうしてそう思うのかといえば、千年も都があった土地だからです。
どういうことかというと、雅の文、です。
天皇がいる場所に、食べ物、着る物、調度品、様々な文化が育まれた。
華道も、茶道も、文学だって紫式部から枕草子、鴨長明、兼好法師さん。
といいながら、京都のことを知っているかといえば、そんなに知りません。
でも、情念というか怨念というか、ヒトの心の奥のドロドロ感の蓄積。
京都という風土に育つヒトの風土ってのは、ちょっと根深いね、たぶん。
京都の人って腹の底で何を思っているのかわからない、と言われるます。
そのとうりだと思うんですが、京都だけでしょうか、人間の本性ですが。

雑記帳-3-

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京都にまつわる雑記-3-
千本寺の内を上がった西側に、千本えんま堂があります。
閻魔大王が睨みを効かしていらっしゃる座像が置かれてあるお堂です。
京都の北西部の庶民文化が集約しているスポットじゃないかと思っています。
文化遺産としては現在も保存会がある、えんま堂狂言や千本六斎念仏。
京都における位置的には、千本通りの船岡山麓、蓮台野の入り口、のぼり口。
この世とあの世の境界が、このえんま堂を介して意識せられたのではないか。
ちょうどこのあたりから北に向かってひろがる野は、坂になって蓮の形状になる。
そのようにイメージされて、ここから北には死者を葬る野原が広がっていった。
現在地で云うと、千本北大路から北へは上り坂で、鷹ヶ峯に至る一帯です。
京都から日本海へ通じる街道がいくつかあるけれど、ここもまたそのひとつ。
鷹ヶ峯から山道で京見峠を経て真弓、杉坂、京北から美山に通じる街道でした。
現在は仁和寺から高雄にいく道路があって、そのまま美山へいけるルートです。
千本えんま堂の狂言や、千本六斎念仏などは、子供の頃には見て聞いていた光景です。
知らず知らずに自分の感覚が作られてきたように、思えます。
風土ということですが、庶民文化、庶民の生きざま、そのものではないかと思うのです。
だから、もちろん、映像や文章表現においては、その地域風土を意識します。
自分の地場そのものが、表現の対象となる、という古くもあり現代的な視点です。
このあとには、また、北野天満宮を基点とした話を、してみたいと思っています。


雑記帳-4-

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ここに雑記帳というカテゴリーがあって、その続きを書きたいと思います。
京都にまつわる雑記、とサブタイトルがありますが、それにこだわりません。
といいながら、掲載している写真は、昨日撮った平野神社の桜風景です。
魁という品種の桜が咲いていて、桜を向こうに、和服の女子が二人という画面です。
和服を着た女子が多いのは、借り衣装で、観光客が衣装を借りて、散策する。
最近は男女のペアが和服を着て散策する、観光日本の流行りのようです。
今日も午後から桜を求めて、散歩に出かけようと思っています。
新元号が万葉集の序文から選んだ二字「令和」と決まって、ニュースはこればかり。
ぼくの手元には、どうしたわけか、文庫本の万葉集二冊が、半世紀以上書棚に眠っていました。
岩波書店版で昭和二年初版の上下二冊で昭和四十年再販のものです。
その頃の文庫本はほぼ処分したけど、現代詩の鑑賞とボヴァリー夫人だけが残っています。
残っている理由は、思い入れと記憶が残っているからです。
日本近代文学を学びたかった向こうにフランス文学がありました。
淡くて遠い記憶ですが、それらの日々のことが、よみがえってきます。


雑記帳-5-

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絵画や写真の構図で、すでにある光景をまねて、ぼくは桜の風景を撮っています。
広沢の池の縁に植わっている桜に花が咲いている、これを撮りにいきました。
東山魁夷、谷崎潤一郎、日本画と小説「細雪」にここの桜が描かれていたと思います。
現場へ行って、それらの背景を思い描きながら、ぼくはそれらを越えたいと思うのです。
写真が、絵画を越えられるか、耽美小説がいっそう深化してエロスを感じさせられるか。
日本では、写真は秘部を隠すことで表に現わすことが可能です。
日本語で書かれる耽美小説の奥には、隠されるエロスの人間模様があります。
たぶん日本の文章表現では、18禁領域にすれば禁止ではなくなっていると思います。
絵画にも文学にもエロスを彷彿とさせる描写があり、人は秘してこれに感動する。
生きているという証しとして、情があり、感動があり、情が動かされます。
通例では、男と女という異性が交わることが、身体の本能としてあるんだと思います。
生活のまわりを見回してみると、これにまつわる事柄が多いのに気づきます。
封印された領域に作家は侵入しようとします。
現代では芸術とかアートとか、ある表現枠を決めているふしがありますが。
この表現枠を破ろうとする作家、ある意味、作家なら、それを意識すると思う。
いつの時代にも、良識と反良識というせめぎあいが芸術論争にあると思っています。
この境界線が、時代のなかで、為政に制約されながら、揺れ動いています。
封印を美徳とする良識派と封印を解こうとする反良識派がせめぎあうことすら隠されて。

雑記帳-6-

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先週、金沢へ行ったとき、自由行動の時間があったので、金沢城へいきました。
かなり前に行ったときは、まだ金沢大学の校舎があったころでした。
復元というか、きれいに整備されていて、無料開放されています。
桜の季節でしたから、方々、桜が満開でした。
その前には兼六園、もう一つ前には東山茶屋街、いつも近江町市場を通ります。
金沢のだいたいの観光場所を訪ねたところで、令和という時代を迎えます。
金沢はつれあいの出身地なので、ぼくは18歳の時から行くようになりました。
それから、半世紀以上の日々が過ぎています。
終の棲家にするかも、と思って20数年前に金沢の郊外に家を建てました。
バブル崩壊後、交通の便が次第に悪くなり、生涯住むのは京都、と決めています。
でも、金沢という街は、少し遠くにあるから、客観的に見れる感じです。
京都に拠点を置きながら、金沢のイメージを語っても、いいかもなぁ、と思う。