葉月-1-

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 夏休みの最中に、大村から呼び出された多恵は、いきなり抱かれてキッスされたから、汗を拭うのも忘れて、動転したものでした。その大村剛が亡くなったという知らせを受けたのは、高校を卒業して顔をあわせることもなくなって、記憶も薄れていた大学の四年生の夏でした。多恵は卒業を控えていて、商社に就職先も決まっていました。大村剛が死んだという知らせをくれたのは、当時、共通のサークルで友だちだった北村信之からで、すでに葬儀も終わり、四十九日も終わったころ、それは八月の盛りでした。
「どうして、剛くんが亡くなったの、医学部に合格して、秀才だったのに、どうして」
多恵には、北村から自殺だと聞かされ、耳を疑ったけれど、それはどうも事実のようでした。
「だから、剛は、家業を継ぐのが、嫌だったんだろう」
「お家は病院を経営されていたから、医学部だったんでしょ」
「跡取りだったのに、死ぬほどに、嫌だったのかなぁ」
高校を卒業したその後にも、大村と親交があった北村には、剛の身の周りのことが、分かっていた。としても多恵には、その複雑な剛の心情など、知る術もありません。
 思い起こせば、多恵には秀才に思えた大村から、突然に「好きなんだけど」と言われて、半分冗談だと思ったけど、二人で会ってほしいと言われて、従った。多恵は、大村剛に好意を持っていたけれど、話を交わすには少し遠めの男子だったから。それよりも多恵の気持ちを惹きつけたのは、中山明夫の方で、ぐいぐいとと傾斜していったのです。
「それで北村君は、訪ねていったの、大村君のお家へ」
「行ってないよ、死んだと知ったのは、新聞記事だったから」
「でも、よく会っていたとか、そういう友だちじゃなかったの?」
「そういう友だちでもなかったな、彼は音楽やりたかったようだったけど」
電話だから、あまり具体的な話もできないまま、多恵は北村との通話を切ったのです。そのときは、大きな動揺はなかったけれど、その夜というか明け方に、夢に大村剛が現れて、多恵は、いてもたってもいられなくて、起きてしまったのでした。明け方までまだ一時間もあったけれど、ベッドから起き、冷蔵庫から冷や水をコップに注いで飲みました。

葉月-2-

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 それらの日々から十年が過ぎていま、大田多恵は陶芸の道七年目、新進作家としてお茶道具を扱うお店のテーブルで、作品展を開催しています。京都の小川寺の内にある「京陶苑」のテーブルです。作家デビューといえば、ここで作品を並べるということで専門雑誌の記事になり、多恵の名前が知られていく、というギャラリーシステムの端末です。
「ろくろをまわすより、手びねりがいいね、色彩も、ね」
「ありがとうございます、わたくしも、手びねりのほうが」
「太田さんは若いね、色彩も、虹のようだし、侘び寂びというよりは、ね」
明るい光がガラス窓から這入り込む京陶苑のお店のなか、店主の佐々木郁夫が多恵との会話です。白い生成りのワンピース姿の多恵は、あれから三年務めた商社を辞め、作家の道に進もうと陶芸学校を終え、亀岡の陶房で基礎を学んできたところです。個展と云うほどの点数がないから、習作レベルで五点が二組、茶碗と皿の作品です。小さなプレートに、大田多恵、という名前が書かれていて、名刺の大きさの紙に名前とともに略歴が刷られています。京都生まれ、D大学文学部卒業後商社勤務を経て、陶芸の道に入る。京都陶芸学校十期生。文字を連ねて略歴を書かれても、心が通うというものではありませんが、京陶苑のお抱え作家というふれこみでのデビューです。顧客は一流だし、多恵の美貌からしても、陶芸作家への道を登っていくことになります。
 多恵の学生時代のことを知るひとは、いま、交友関係にあるひとの中にはいません。商社で知り合った友達とは縁が切れているけれど、その後に陶芸学校の同期生で、二人、懇意にしている女子がいます。昨年、陶房から離れて、自分の陶房を北白川の山辺に設えたところです。「桐陶房大田多恵」、ええあの桐の木の桐です。
「ナチュラルが好きなの、どうしてだか、土とか草とか木とか、自然よね」
「多恵の趣向といえば、食べ物だって、こだわるわね」
「それに、縄文なのよね、やっぱり、なんとなく惹かれるわ」
友達といっても多恵よりひとまわりも年上の村上芳江との会話です。この村上芳江は陶芸学校の同期生で福祉士の仕事に従事しているシングルマザーです。この芳江が、作品展を見に来てくれた最初のお客さんです。
「いいわね、多恵ちゃんらしい、派手な色だよね、でもハッキリしてるね」
「そうよね、この虹シリーズ、わたし、性にあってるかも、ね」
「地味な多恵が、多彩な色を好むなんて、ちょっと不思議」
「芳江さんだって、人柄と作品が、ちぐはぐな感じしますよ」
「そうかなぁ、流行ってのも気にしないといけないし、目立たないといけないし」
多恵の前で、多恵の陶芸作品をみながら、作品と人物とでもいう批評のような話題になります。

葉月-3-

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 多恵が作品展をさせていただいている京陶苑の近くには、人形供養する宝鏡寺があり、お茶の家元裏千家や表千家があります。寺院では絵師長谷川等伯が京へ参じたときに世話をしたという法華宗本法寺があります。日曜日の午後です。まだ若さを感じるダンディーな男の人が、京陶苑にやってきたのです。どこかで、会ったような気がした多恵。相手は、会釈して、陶芸展示の前に立って眺めています。多恵は、思い出そうとして、記憶をよみがえらせます。男性の背中を見て、まさか、と思う。記憶がよみがえってきます。たぶん、あの人だ、そうだデモの隊列で手を握りあっていたあの人。それほどに親しい関係にはなれませんでしたが、その後、大学のサークルでお会いした男性です。
「ええ、新聞に紹介されていたので、見に来たんですよ」
「ありがとうございます、以前にお会いしていますよね」
「そうですね、学生の頃、思い出していただけましたか」
懐かしいという思いと、会ってはいけない人、多恵には、その彼、長野耕三が目の前へ現れたことに、半ばうろたえ、半ば頭のなか真っ白になったのです。
「長野さん、そうでした、長野耕三さん、どうして、ここへ」
「新聞記事で、新進陶芸家大田多恵が個展、という記事をみました」
「個展というほどのものではありません、それに新進陶芸家だなんて、大袈裟です」
「日帰りです、夕方ののぞみで帰ります」
「のぞみって、新幹線ですか、どこにいらっしゃるのですか」
「東京にいるんですが、住まいは埼玉です」
長野耕三は美学を出て、その後のことは多恵にはわからなかったのですが、出版社に勤めて十年になるというのです。多恵の前から、忽然と消えてしまった長野耕三の行方を捜そうという気持ちはあったけれど、深くは詮索しませんでした。
「いい色じゃないですか、虹色、光りますね、素晴らしい」
「そんなに褒めないでください、わたし、本気にしちゃうから」
「変わらないなぁ、大田さん、ますます洗練されて、美しい」
「いやよ、そんなに褒めないで、長野さん、耕三さん、うれしい、わたし」
店主の佐々木が、多恵と東京からの来客長野との会話を聞きながら、お茶を用意してくれて、立ったままの二人をテーブルを介して座らせたのです。
「ようこそ、東京からお越しでしたか、それはありがとうございます」
「いや、懐かしくて、それに、大田さんの作品も見たかったから」
長野は名刺を差し出し、店主の佐々木郁夫と名刺交換、多恵にも名刺を渡してくれました。法灯舎出版編集部長長野耕三、名刺には部長の肩書があり、法灯舎といえば日本美術系の出版社だと、多恵にもわかります。
「そうでしたか、法灯舎の編集部長さんでしたか、それはそれは」
「大学が京都でしたし、大田さんとは顔見知りでしたけど、懐かしくて、やってきたんです」
長野が顔見知りだという区分に、多恵はそれ以上だと言いたいところだったけれど、言葉を挟むのは控えます。