秋立ちて-1-

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 陶芸家大田多恵の初個展記事が地元新聞のアート欄に掲載されことの反応といえば、むしろ経済界からのまなざしで脚光を浴びたことだ。というのも地元経済界の重鎮大田耕造の孫娘が、陶芸家としてデビューするからだった。個展会場は表千家裏千家がある小川寺の内。茶道の道具を扱う京陶苑の二階特設会場で、そこはギャラリーになっていて、60平米の会場に、多恵の茶器を含む陶芸作品28点が並んだ。
「はい、黒田先生、よかったら、お手にとってご覧いただいても、うれしいです」
黒塗りのハイヤーに乗ってきた高齢のお方は、宮家の筋のお方で、財力はそれほど持ってはいないが、知性あふれた紳士だ。名は黒田寛一といい、京都では考古学者として大学で教鞭をとったのち、名誉教授職となり、地元新聞で二か月に一度のコラム連載をされている。年齢たすでに八十を超えていて、多恵の祖父太田耕造とは交友関係にあった。
「お嬢さん、多恵さん、美しい色彩が出ているね、新しい茶碗だな」
「先生に褒めていただいて、わたくし、うれしいです」
黒田はステッキを持ち、ダブルの黒いスーツを着こなしていて、それはよそ行きの服装だ。若い、とはいっても四十は過ぎているスーツ姿の男性がお供についてきている。
「いやぁああ、黒田先生、よく来ていただけました、ありがとうございます」
京陶苑の経営者佐々木郁夫が、挨拶、黒田寛一の目に適うと、店としても箔が付くというものだ。
「なかなか、たいしたものだ、お嬢さん、がんばりなさいね」
「ありがとうございます、よろしくお願いいたします」
ギャラリーは社交場だ。大田多恵の家柄は、お上御用達、和装着物などを製造して卸す会社の本家だ。商人とはいえ、学舎も輩出しているし、日本画家も輩出している家柄だ。多恵が陶芸の世界で、花開くには、ふさわしいバックヤードといえる。
「よろしくお願いいたします」
多恵も佐々木と共にお礼をのべる。秋口になってもまだ暑さが残る九月半ば、多恵は半袖のおしゃれなワンピースを着こなし、美女の仕草だ。女子の年齢は聞くに及ばないが、すでに三十の半ば過ぎる。独身だ。銀閣寺の近くに陶房を持っており、生活もそこでしている独り暮らしだ。

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秋立ちて-2-

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 個展会場には、太田耕造の孫娘だというだけで、各界の名士たちが鑑賞に訪れる。京陶苑のオーナー佐々木が応対にあたるから、多恵は挨拶だけで、簡単な会話を交わすだけで、さりげなく時間が過ぎていく。三日目になって、まだ四十になるかならないかのスーツを着こなした男子が訪れてきた。多恵の見覚えがある顔。会場になる二階への階段を上がってきた男を見て、多恵が会釈する。思い出せない、見覚えがある、誰だったか、多恵は記憶を辿るが、思い出せない。
「新聞記事をみましてね、のぞみで先ほど京都に着いて、ここへやってきましたよ、こんにちは」
男は、微笑を浮かべて、多恵に挨拶をしてくる。東京から新幹線でやってきたことがわかって、多恵の記憶から、その顔を紡ぎ出そうとして、大学の先輩になる、北村信之、そのとき名前は思い出さなかったが、あの出来事以来の男子だと思い当たった。
「北村です、もう十年も前ですね、思い出されましたか、太田さん」
「そうですね、きたむらさん、おひさしぶりでございます、ありがとうございます」
礼儀は礼儀、かって親しかったとはいえ、いまは遠くからの来客、こころときめいたが、多恵は冷静さを保った。知り合いで、特に深い関係になった男ではなかったが、同人誌をやっていて、その仲間の大宮太一が死んだときには、この北村信之がその場を取り仕切ったものだった。
「東都新聞の芸術欄に、京都で陶芸の個展があって、好評だとの記事があって、名前をみると大田多恵さん、あの、太田さん、いいえ、多恵ちゃん、そう思うと、会いたくなった、そうして、来ちゃった」
「はい、思い出しました、北村さん、北村先輩、ご無沙汰いたしておりました」
初日には軽装のワンピース姿だった多恵は、三日目は淡いブルー地の着物姿だ。虹のような色彩をちりばめた陶器と比較すると、着物は落ち着いて静かだ。
「ええ、雑誌記者をやっておって、記事にしようかと思っておって、インタビューほしい」
「知りませんでした、月刊誌陶苑の記者さんですか、そういえば美学でしたね、先輩」
「多恵ちゃんが、陶芸やってるって、知らなかった、見る処、将来有望な陶芸家だと」
「ああん、それはでっちあげみたいなもので、わたしは、そんなんじゃないのに」
「でも、いいじゃないですか、お家柄、いい筋じゃないですか、記事にしたら受けますよ」
「ありがとうございます、そうですね、夜七時以降なら」
「ぼくは、烏丸ホテルだから、そこのロビーで、お待ちするか」
「わかりました、お伺いします、よろしくお願いします」
半時間程個展会場にいた北村が去ったあと、京陶苑オーナーの佐々木が、多恵との関係を尋ねてきた。多恵は、大学の先輩で、同人誌を主宰されていて、わたしも参加していて、顔見知り程度の関係でした、と語った。佐々木は北村の名刺を見ながら、雑誌記者をやっていることに興味を抱いて、懇意になることを模索するのだった。

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秋立ちて-3-

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 多恵が烏丸ホテルのロビーに行くと、北村は喫茶の大きな窓際のテーブルにいた。多恵は和服のままだが、北村はデニムのズボンに綿シャツ姿だ。北村が手を振って、ここだよ、と合図している。多恵は、見つけて、軽く会釈して、テーブルの横に向きあうソファーに座った。
「お久しぶりです、お懐かしい、もう北村さんとお呼びすれば、よろしいでしょうか」
「なあんだ、そんなに賢くぶらなくったっていいですよ、多恵ちゃん、信でいいよ、ノブ」
「そうですね、ノブさんでしたね、懐かしいです、わたしはノブさんじゃなくて、北村先輩でしたけど」
「まあ、どちらでも、呼びやすい方で呼んでいただければ、いいんですよ」
北村信之は、懐かしいという顔付をし、ほほえみ、多恵の顔を見、和服姿を見、足元まで見下ろす。多恵は、北村の目線をうけて、肩がすくむ思いもしたが、懐かさに、親しみ、を感じた。大きなホテルではなくビジネスホテルだから、喫茶といっても軽いしつらえで、朝には朝食の席になる場所だ。喉の渇きを覚えて、多恵はオレンジジュースを頼んだ。北村は、ホットコーヒーのお替りを、リクルートスーツを着たようなウエイトレスにに頼んだ。
「陶芸家デビューと紹介されていたし、京都のお茶のメッカだし、東京では京都ブームだし、フレームはいいな」
「ノブ先輩は、出版社におられて、記者さんをされていて、ジャーナリストになるとおっしゃっていて、そのとおりなんですね」
北村のことは、それほど詳しくは知らない多恵だけど、同人誌のリーダー格だったから、まったく知らないことでもない。当時からダンディな男子だったが、それから十年、いっそう東京仕込みのダンディーさをこなしている風に見える。
「陶芸の道に入ったとは、わからないなぁ、多恵ちゃんは、詩人になると、思っていたけれど」
「詩人ですかぁ、まあ、いまでも、書いたりするけど、文章は奥深いから」
「そういう言い方だと、陶芸だって、奥深い、芸を極めるって、奥が深い、そう思うけど」
北村は、多恵の学生時代のことをイメージで描ける男だ。たしかに多恵は詩人らしく詩を書いていて、例会の場で朗読して、自作自演していたことを、記憶しているのだ。
「陶芸は、25を過ぎてから、からだを使いたかったから」
「でも、よくここまで、来れたんだ、アーティストだな、多恵ちゃん」
「いえいえ、家族のおかげです、資金支援してもらっているし、感謝です」
昔の話をしたいと思う北村だが、現在の多恵の立ち位置を話題にしはじめたところだ。北村は多恵よりも七年ほどの年長で、当時は大学の院生だった。文芸批評を手掛けながら、美術批評も試みていたと、多恵は記憶している。もう十五年も前のことだ。多恵が大学二回生だったころの話だ。大宮太一という大学の医学部でインターンをしていた男子が死んだ。話題にすることもなく、記憶の底に仕舞われたままだけど、多恵には思い起こすことがままある。北村の後輩、多恵の先輩、大宮は医学部に在学で、家業は精神科の病院経営をしていた。その御曹司だ。その大宮が死んだというので、同人仲間は驚いた。その中に多恵もいたのだった。

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秋立ちて-4-

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 北村は、翌朝早くののぞみで東京への帰途についた。昨日、多恵とは十数年ぶりに会って、これからあとに繋がったことで、北村は救われた気持ちになった。北村の出身地は北海道だったから、京都に縁があったというのは、大学が京都だったからで、あしかけ十年ほど京都に住んでいて、東京の出版社に職を得て、東京に住むようになったのだ。仕事は、雑誌編集兼記者兼ライターを兼ねていて、月刊誌陶苑の編集次長の立場だ。
<そもそも、あの太田多恵が、陶芸家になるとは思わなかったな、しかし、家柄も良いし、美貌だし、だが年はもう三十五だ>
<あの大田多恵が、京都の老舗の茶道具屋ギャラリーでデビューするとはなぁ、それにあの色彩は美しい>
大学生のころは詩を詠んでいた多恵のことを記憶している北村は、多恵が後輩でいて、まだ未婚だというので、あらためて興味を持った。男子学生が多かった同人に女子は二人で、大田多恵と水際紗子、小柄で華奢な多恵と、大柄で男勝りの紗子が、性格的には対照的な二人だったが、仲は良かったと記憶している。
「次長、京都の秋、いかがでした、満喫されましたか」
編集局に配属の野村真紀は北村の部下になる三十前の女子だ。出社して、経費精算の伝票を野村真紀に渡したとき、彼女が話を切りだした。
「陶芸家大田多恵の個展をご覧になりに京都まで、行かれたんですか」
「それだけじゃないよ、老舗の店のギャラリーだし、近づいておくのは、なにかといいだろ」
「たしかに、京陶苑でしたっけ、そこのお抱え陶芸家、筋はいいですね」
野村真紀は、仕事ができることで、才女と言われているが、北村には手ごわい相手で、殻をかぶった鉄仮面のようにも思える女子だ。北村が京都の私学の美学専攻に対して、真紀は東京の私学の美学専攻だ。年齢の差は干支でひとまわり、先輩と後輩というより、上司と部下、仲は悪くない、できる女子だから、北村は一目置いている。信頼している、仕事はテキパキ、事務処理は抜群の能力を持った女子だ。
「作家さん、たくさんいるけど、京都の大田多恵さん、何派でもなく、独立窯ですよね」
「京都の財界の系だ、親戚に、画家や学者もいる家系だ、いかにも日本的な背景を持つ女性だよ」
「そうなんですね、わたしは静岡だし、北村次長は札幌、バックヤードは普通並み、ですものね」
「そうなんだよな、作品なんて、良いといえば良いし、悪いといえば悪いし、だよな」
「それで、太田さんの作品は、どうでしたの、良いほうへの部類でしたか」
「うん、まあ、デビューしても、やっていけるだろうな、斬新だ」
編集部の野村真紀は、北村の過去のこと、大田多恵との関係を知らない。ただ北村信之と野村真紀、いまのところ関係といっても男女の関係があったわけではない。そういう立場の北村編集次長と、部下の野村真紀だ。

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秋立ちて-5-

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 多恵の個展は盛況のうちに終った。会期が二週間で、京陶苑の企画展だから、費用はそれほどかからなかった。多恵はそれらの思惑の中で作家の知名度をあげていくためには、利用しようと思っている。雑誌の記事にされる。良いことだ。先輩の北村信之が編集次長をしているとは知らなかったが、東京から取材をかねて会いに来たことを、嬉しく想う多恵だ。
「盛会でよかった、大田多恵の名前が売れれば、京陶苑としても誉れ高い」
「はい、ありがとうございます、佐々木さん、これからもよろしくお願いします」
個展会場となった京陶苑は、茶の湯の本場で昔から由緒ある場所にある。邪道ではなく歴史性もある本道だから、京陶苑専属の陶芸作家としてもまだデビューするところの多恵だから、マネージメントを佐々木に委ねていいと思っている。
「いろいろ、さまざま、京都から、ニューヨークやパリへ、持って行ってもいいね」
「ありがとうございます、わたし、詩人、ええ、ポエムの詩人やりたかったんですけど」
「いや、詩も作ったらいいじゃない、文章センスもあるなぁ、と思っているよ」
 多恵の陶房は銀閣寺の近く、古民家を改造してもらって、制作と居住をひとつの家屋にまとめていた。表を店にすると留守番が必要となるので店は併設していない。哲学の道の一角に陶芸品を扱う店があるので、此処に陳列させてもらって、買い求めてもらえる、という仕組みを作った。もちろん寺の内小川の京陶苑でも販売するが、こちらの店では高級品扱いだ。
 個展を終えて、久々に、朝から一日、陶房にいられる多恵は、日常に戻ろうと気持ちを切り替える。来客の予定はないから、一日、のんべんだらりと時間を過ごすことに決めた。遅めの朝、六つ切りのトーストを一枚、バターではなくてマーガリン、体によくはないと言われているがカロリー低めのマーガリン、それに小さじ半分の白砂糖をまぶして食べる。飲み物は贅沢珈琲だ。ミルクは飲むときと飲まないときがあって、今朝は飲むことにした。独り住まいだ。三十半ばを過ぎた独り身だ。どうしようかとの思いもあるが、気に入ってすがりたいと思う男とも出会わないから、そのままだ。見合いはしない。実家の筋から二十五くらいまでは、見合いの話がいくつかあった。多恵は断った。恋愛がしたかった。いまだって恋愛がしたい。恋愛の末に結婚がある。そのようにしか考えられない新進陶芸家、大田多恵だ。

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秋立ちて-6-

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 家屋の東側が山の斜面になっているから朝日は射しこんでこない。晴れた日だから、明るさが窓からはいってくる。キッチンがあり、テーブルがあり、椅子がある。明るさがはいってくる引き違いの掃き出し窓の外は庭。庭といっても小さな庭で、多恵はあまり管理しないから雑草が生えている。その向こうはブロック塀だけど、都会の片隅の庭空間としては落ち着ける。ミルクを入れたコップは、ガラスをやっている優佳が作ったもので、半透明だが薄いコップで軽い。コーヒーのカップは自作のマグカップを使っている。北村の姿を脳裏に浮かべる。先日会った北村の姿だ。恋していたわけではなかったが、避けていたわけではなくて、呼ばれれば都合をつけて同席した。批評会は例会で月に一遍、大学の学生会館の一室を借りて行っていた。クラブでも同好会でもなかったから、専用のクラブボックスはなかったから、ミーティングは学校近くの喫茶店。例会の批評会は会議室だった。雑誌発行後の合評会は少し広めの事前予約が必要な部屋だった。北村の直近の姿を思い出しながら、そのころの光景が、浮かんでは消える。それでも、もう、多恵は、大学三回生になっていた。
「日本の文学だけど、外国の潮流をふまえて、テーマ出しをしないとだめだよ」
「そうね、現代性っていうのかしら、内面描写が必要とされますよね」
「その内面描写が、いま現代、その内面、ということなんだなぁ」
「いま、現代、その内面、ですかぁ、そうですね、詩にもいえますよね」
あれは秋、会館の窓からみえた、楠の葉がゆさゆさ揺れるざわめきを奇妙に思い出す多恵だ。北村が多恵が制作した詩を、批評する言葉を思い出す。文学と陶芸は違う、と人はいうけれど、多恵は、その底流にある制作者の内面は、表現されてしかるべき。言葉という具体的なやり取りではなくて、抽象的なイメージの交換だから、違うといえば違うかもしれないが、感覚的にはよく似たことじゃないかしら。独りごと。多恵は珈琲カップを右手に持ったまま、窓の雑草を見ている。かってあった北村との会話を、咀嚼しながら思い出す。
<散歩しよう、哲学の道、ひといっぱいやろなぁ>
多恵は、遅めの朝をおえ、少し散歩することにした。玄関を出て、坂になる小道を右手にいくと、哲学の道にでる。外国からの観光客にも人気スポットだ。自分が焼いた器が並ぶ店のまえを通る。立ち寄らない。そのまま哲学の道を歩き出す。ゆっくりした歩調で、南の方へと歩むのだ。

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