淡水雑記170511

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<性の光景>
焼物にされた性の光景。九谷焼との裏書があるけれど、どこの窯なのかまではわかりませんが、春画が描かれた大きな皿です。あけっぴろげなこれにはちょっと驚きました。ぼくなんかは、性は隠すもの、といった感覚があって、人前でこういう光景を見る、あるいは人がいる処で見る、ということに羞恥心を抱いてしまう性格です。でも、最近は、この類なんか有名出版社から出版物になって発行されたり、美術館で展示されたり、日の目を浴びてきているから、露店の店先に並んでいても決しておかしくはない状況です。興味が尽きない光景です。

淡水雑記170506

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<性の光景>
北野天満宮の縁日に出ている店の品物に、性を扱った商品を置いている店があります。
性を扱うといったって、様々な商品構成があると思うけど、この店は陶器の焼物、彫り物の置物、それに性器の張形そのものを並べてあります。
ここに並んでいるということは、それらが作られたということであり、作られ、人の手に渡ることです。
そこにお金がいかほどかかっていくのか、はたまたお金がかからないのか、いずれにせよ、流通するわけです。
ここのテーブルに並んでいるのは、すべて商品で、お金をだせば手に入るという品物です。

この品物が何に使われるのかは、言うまでもなく、というか言わなければわからないから想定される使い方を記述して見ようと思う。女子の股間に入れられる物品で、誰が入れるのかといえば、本人が入れる、その関係にある相手から入れられる、飾られる、それくらいだと思うが、いずれも想像力をかきたてられる物品ですね。大人の玩具という言い方をすれば、街の片隅の店の中、その類の商品がパッケージされて売られています。やっぱりこれは男が買い求める品物だと思う。というのも経験的にいうなれば、男たるもの、精力が衰えてくるものです。女子の衰えよりも男子の衰えが先にくるとでもいうのか、男自身のモノを使うだけでは足らなくて、物品を使って女子の欲求を満たしていくということです。

まわりを見まわしてみれば、性に関連する商品は山ほどあります。大人の玩具だけでなく、視覚には写真集、かってならビデオテープ、今様なら映像を見るDVD、コンビニの成人雑誌にはその類の記事と写真、それにDVDがついている。ネットの中には、膨大に、性を扱うサイトがあって、外国のサイトへも行ってしまえる現在です。かって、陰毛が写ることなんてなかった1980年代のはじめごろ。まだビデオが一般的ではなかった時代には、一般にはフィルムは手に入らなかったから、簡単に目に触れることはありませんでした。変われば変わる世の中、いまやハードコアな映像を、無償で見れるのです。性のことは、人間の最大の関心ごとなのかも知れません。

淡水雑記170430

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<性の光景>
今日は4月30日で月末です。
あれよあれよと日が過ぎていく感じで、ちょっとうろたえたりします。
もっと時間を楽しんで、生きてることの味を十分にかみしめて、楽しもう。
そう思っても、なかなかそうはいかなくて、もたもたと時間を過ごして終わっていく。
一日の午前中、まだ頭が冴えているときは、フィクションを書いています。
小説仕立てで3本、連載物で書いていて、読み返すことはほとんどない。
その時ばったりの言葉で書き連ねて、自己満足している、性欲求を満たしてる。
ほぼ10年ほど、毎日のように書いていて、相当な分量になるのを、まとめています。
はなしはここにあげた写真の、被写体になっている台の上の代物のこと。
天神さんの屋台で、並べられて売られている性具と性を描いた焼物、器です。
文化のなかで、こういうものが作られ、所持され、重宝される。
隠された文化といえばいいかと思うが、この領域に興味を持っているわけです。
だから、そこで、小説を書き、写真は借り物、ビデオも見るけど、写真が多い。
ひろげるべき開放すべき領域は、ここだと思う。
メイプルソープがチャレンジした性の深部を探った写真群。
匿名作家のエロ作品など、世の半分はこの類の作品ではないのかと思い程です。
性欲が衰えた男が描くのは、過去の肉体的高揚を、再現しようとしているのか。
ぼくなんぞは、古希を迎えて、枯れていくかと思ったけれど、精神は健在です。
そういうもんなんだろうなと思うところ、これは空しい部類に入る性ですな。

淡水日記170420

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<田舎の光景>
金沢に家を建ててから20数年が過ぎる。
何時だったか1995年だったか、郵便局を辞め、専門学校に勤めた年だった。
まだ50半ばのころで、体力も元気で、精力も旺盛だった。
いまや70になってまもなく71歳の誕生日を迎える。
体力は衰え、性欲もかなり衰えたけれど、頭脳はまだまだ働いている。
年齢と共にあの世の方へ向かっていると思えるけれど、まだまだこの世で現役だ。
枝垂れ桜が大きくなった。
最近は月に一回、二泊三日で金沢へ赴く。
今週は枝垂れ桜が咲いていて、しゃくなげ、みつばつつじも咲いていた。
美しいと思う、女の美のイメージです。
男だから女が好きだ。
これは決していやらしいことではなくて、性をもつ人のあたりまえだ。
愛がなければ、それはセクハラになったりするんだ。
性癖というのが、たぶん、誰にもあるんだと思う。
文学にしろ、アートにおいての表現、その奥には性がある。
年を取るにつれて、そのことがわかってきた気がしている。
花の季節に、花を撮り、花を愛でる、これは女を愛でることの代償ではないか。
posted by utumitansui at 11:25日記

淡水雑記-15-

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<性的興奮ということ>
文学作品とか映像作品とか、静止画である写真作品とか、それを読んで、見て、興奮する。
俗に性的興奮という、性的という二文字が入る興奮のことを四文字熟語としているこのこと。
文学であれ、写真を含む映像であれ、見る側に、つまり鑑賞者に、ある種の興奮を与える。
作品は興奮を与えるためにある、といっても過言ではないと考えています。
興奮は、感動といってもいいかと思います。
それに性的という範疇がつくわけで、性的とは、セックス的ということでしょうか。
性というのは、おおむねセックスすること、性的というのは、それへの類似ということ。
読む、見る人に、その感動を生成させ、からだをセックスのときのように奮い立たさせる。
この度合いが高ければ高いほど、その作品は優れている、と評価していいのではないか。
でも、この尺度ではかって、優れている作品は、じつは既存の文学や映像からはみだします。
芸術としての文学作品や映像作品や写真作品とは一線を画している、というのが現状ではないか。
性的興奮を起こさせる作品は、芸術ではない、というのでしょうかね。
では、芸術とは何か、と問い直して枠をひろげなければ、ならないのではないでしょうか。
まどろっこしい言い方していますが、今、現時点のメディアのなかで、再考すべきでしょう。
性的興奮は美に背いているものなのか、それとも美に昇華されていくものなのか。
様々なメディアを使う表現者には、この問題を考えないといけないのではないかと思うのです。