淡水日記170226

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どないしようかと迷うところで、ふっと過去のことを思いだしてしまいました。過去といってもこの三年。三年前の今頃から一昨年、昨年、今年、紆余曲折しながら、ぼく自身の身の置き場について、自分なりに移動させてきて、今に至っているということ。何が起こったの、その内容についてはどこまで具体的に記載すればいいのか、プライバシーをどこまで公開していいのか、ということを思ってしまうのです。ここは、日記、という枠だから、誰にも見せない秘密のことが書ける、ということだけど、それはここ、ブログに書くわけだから誰かの眼に触れる、読まれる、ということを前提にしなければいけません。といいながらも、書いておかないといけない。

三年前といえば京都写真学校の開講について、受講する人が少なければ開講しないという方針を打ち出しはじめたことでした。ひとりでも受講希望者がいたら開講しようということが、それまでは前庭だったけれど、採算のこと考えると開講しない、というほうに来たと思うんです。ぼくの立場でいえば、当時は宝塚にあった図書館のほうで講師をやりたいという意欲もあり、京都は休校してもいいと考えてしまったのです。根本のところにお金の分配の事があったのです。お金のことでは、人と人との信頼関係を崩してしまう、そういうことだと今は思っています。といいながら三年前には、受講希望の人が数人あらわれて、開講しました。具体的には二年前、ひとりだけの受講となったので開講しないことを決定させました。

図書館は茨木に移転し、講座運営に、積極的にかかわろうとしたところ、主宰者のほうがぼくを受け入れない風が見られてきたのです。ぼくは自分なりに深く、経営も成り立つようにと、講座と図書館運営の案をもっていたけれど、まったくそれは無視されて、金的運営が難しくなってきたのです。ここでは、講師に名を連ねて、そこにぼくの存在を外へ示そうとの思いがありました。野望なんてことではなくて、拠って立つ自分の位置、ということだと思います。世間ではこういうことを確執というのでしょうか、入ろうとすると排除される、そういう流れになったと感じていました。気に入った人と親しくなる、唯一自分の逃げ場がそこにあるようになってきて、個別に気に入りだした人になってきました。恋心を抱いた、それがぼくを苦悩させてきました。(続く)

淡水雑記-6-

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 心ざわめくといえばいいのか、まさかときめいているわけではないと思うけど、黒い服を着た女子がいた。手を出せば抱けるほどの近いところで、髪の毛から顔をみたとき、太宰の孫じゃなかろうかと思ってしまった。突然に太宰のイメージにつながっていたんだけれど、ひょっとしたらKNという名前の写真作家は、かって言ったような無頼派の資質を持っているのではないか。この言葉は、いま、ここで思いついていることだけど、破れたような写真のアングル、テクニカル、なんとなんと、新しいタイプの作家があらわれたとも思う。心の騒めきは、きっとこのことを心象で発見してしまったからではないか。

日記20170218

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 文章を書くのんってけっこう時間がかかるので気分がのらないと書けない。そのうえ書いたところで誰が読むねんと思ったら、何のために書いてるねん、とか、書いてもしやないやん、とか、思えてくるわけです。自分でも恥ずかしいことしてるなぁ、と思ってしまうんですが、まるでピエロみたい、トリックスターならまだしも、お道化役者的なんて、たぶん、こんな感覚なんでしょうね。

 載せている写真は、嵯峨天皇陵の裏側から見た風景です。表正面からは天皇陵独特の白砂利に石の鳥居があるじゃないですか。正面から撮ればそれだけでその鳥居風景が語ることがあると思うんです。シンボルというか象徴です。そういう意味ありげをを排除したら、それがいったい何なのか、雑木林、それだけです。表現ってなんなんやろなぁ、伝えたいことって、どうしたら伝えられるんやろなぁ、想うのはこのことです。

 ここ、日記というカテゴリーを作って、この記事が最初です。日記といういい方は、けっこうアバウトでイージーでごまかしが利く感じがして、時間つぶしにいいなぁ、と思うんです。このことが希薄にしてるのかも知れない。書き連ねてもそれだけの中身があれば読み手も出てくるんでしょうけど、これっていったい何なんなんでしょうね。自分ながらにアホちゃうか、とか、恥ずかしいことしてるよなぁ、とか思ってしまうんです。闇の領域を著そうとしてるところもあるんですけど、男と女の物語のことです。。
posted by utumitansui at 10:43Comment(0)日記

淡水雑記-5-

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 京都に生まれて、京都に育って、いまなお京都に住んでいて、制作のテーマは置いとくとして背景は京都にしていることが多いです。たまたま、京都は、知名度があり、それだけでテーマの背景として成り立っていくとも思っていて、写真の被写体として、京都の風物を撮ることが多いです。また小説のステージとしても京都を舞台にします。京都といえば川端康成の古都ですが、そういうイメージもあります。水上勉のイメージなんかも気になります。ぼくは、ぼく自身の表現内容には、どちらかといえばダサイ感じがしているんですけど、そういう体質なのではないかと思います。現代的な美の感覚には遠くて、むしろ近世、近代、平安時代にまで遡るのかもしれない感覚かとも思います。

西陣の生まれで、べったり中学卒業まで、西陣に育ったといえます。高校生になると社会へ向ける目線ができてきて、時代の影響をうけるなかで京都から離れていきます。離れてどこに向かったのかといえば、東京、東京、東京、ですね。中学生の高学年ころから、いや小学生の高学年のころからかも知れない。東京を意識しだします。鉄腕アトムの中には東京の地名がいっぱい出てきました。アトムを作ったお茶の水博士って団子鼻のおじさん。地名だと、池袋とか新宿とか出てきたように思う。今ほど、テレビもなく、情報は主には少年雑誌からだったかと思うけど、それらの発信元が東京だったわけで、京都という地方の少年にとっては、それは憧れの場所でした。そういうことでいえば、いつも東京がターゲットとしてある感じです。



淡水雑記-4-

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 死者の霊を弔うということであれば、この年齢になると結構たくさん、身近な人を見送っています。それが身内であったり友達であったり、先生であったり、後輩であったり。世にあって有名になった人もいれば無名の人もいます。気になりながら生死がわからないと思う人もいます。人の死というもの、このことをあまり真剣にはとらえてこなかった。でも、最近、死ということの情景を、想うようになってきたと思う。もう名前を明かしておこうとおもうけど、彼女は瀬川恵美。写真に撮られているのは二十歳そこそこだったと記憶しています。どうして、いま、瀬川恵美なのか、そうですね、一昨日だったか高野悦子のことをテレビで見たからかも知れない。瀬川恵美は1982年頃ではなかったか、暑い盛り、梅雨のころだった。マンションの高い階から飛び降りたのだと言います。ええ、棺に入れられた瀬川恵美の顔を見ましたが、死の直後のことは話に聞いただけです。

 どこかにも書いた記憶があるんだけど、知り合った最初は、ぼくの写真展、聖家族での個展のときだから1979年12月、テレビモアというグループで取材申し込みしてきて、純という彼氏とともに聖家族で会った。釜ヶ崎でビデオカメラをまわして、ドキュメント作品を作っているんだということから、かなり親密な知り合いとなっていきます。若い世代、ぼくよりも一回り若かったように思う。生きてたらそれでも還暦を迎えるころでしょうか。釜ヶ崎で会って、一緒に取材したことはなかったけれど、どうして瀬川恵美が釜ヶ崎を撮るのか、ということがわからないまま、死んでしまった。何故撮るのかという命題は、これはぼくに引き当てて考えてみても、明確な答えが見つからない。表の理屈はつけることはできるけれど、何故撮るのか、という本質に近い処は、何故だかわからないのです。瀬川恵美が何故死に至るのか、あるいは至ったのか、これがわからない。

 自殺という行為は、その後、現在でも大きな社会問題となっています。毎年三万人を超える人が自殺している。増加の傾向だと、五木寛之氏のエッセイで読んだことがあります。生きているぼくには、死んでしまった向こうにいってないから、生きて残っているレベルでしか語れないんですが、死ぬ瞬間なんて、怖さとか無くて、ふ~っと行ってしまうんだろうと思う。まあ、それなりの体験をしたと思っているから、このように言えるわけで、でも、そこへ行ってしまうまでのプロセスがあるじゃないですか。文化のなかでそれを食い止められないかというのが、総合文化研究の目的で、総合文化研究所なるものを10年ほど前に立ち上げた。その向こうは闇の世界で、闇の世界を知ったものが死に至る。この闇の世界から救うのは何か。宗教かもしれない、芸術かもしれない。ぼくは芸術におけるエロスの深みがその人を自死から救うのではないか、と思った。