或る物語-3-

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 武夫がタエ子から恋文のような、メモのような紙切れを受け取ったのは、12月のことです。中学三年生、高校受験を控えていた武夫ですが、タエ子は高校へは進学せずに就職するという手配になっていて、家から自転車で通える電機製造工場で働くことになっていたのです。九州の田舎などで中学を卒業した男子や女子は、集団で都会へ就職してきます。そのことでいえばタエ子は境地に生まれ京都に育った女子です。巫女になりたいとタエ子は母に言ったことがありました。でも、母は新興宗教に首ったけだったから、巫女になることを許さなかったのです。武夫のほうはといえば高校進学です。公立高校の普通科を目指していて、それは十分に受かるレベルにありました。学校からの帰り道、夕方五時といえば暗くなってきた時間です。曲がり角でタエ子が武夫を待ち受けていたのです。

 「うん、キミの事、知ってるよ、友だちになってもええけど、高校の試験あるから」
タエ子が待ち伏せしていたのは、その日に限ったことではなくて、ほぼ毎日といってよかった。武夫の興味を引くために、話しかけはしてこなかったが、手紙がカバンに入れられていて、それから数日後、タエ子が武夫の前に立ちはだかったのです。
「受験するの、わかってるけど、わたしは、就職するの、だから、思い出が、ほしいの」
少女雑誌のなかで、男子に告白するセリフがあって、タエ子はそのことを覚えて暗記して、うつむいて武夫に言ったのです。武夫は断らない。断れない性格で、というより女子への憧れがあったから、友だちになることを受け入れたのです。中学の学区だから家と家、多少の距離はあるけれど、自転車なら五分とかからないところに住んでいるタエ子と武夫です。

 それから年末になって、正月になって、武夫はタエ子に誘われるがまま、千本中立売の甘党喫茶店タマヤで話をするようになったのです。タマヤといえばタエ子は小父さんと待ち合わせる店です。タエ子は慣れたことで、お小遣もあったから、武夫におごってやるのです。武夫はホットケーキとミルクセーキのセットで八十円、武夫が頼むとタエ子も同じものを頼んで、食べるという段取りです。仲の良い二人、中学三年生だから喫茶店へ入っていることを先生に見つかると補導される。タエ子と武夫は、入り口のドアからは見えない、奥まったところに隠れるようにして向かい合ったのです。
「お寿司やの、小父さんが、おこずかいをくれるのよ、だから、おごってあげるん」
「そうなん、タエちゃん、お金、持ってるんや、ぼくは、週に100円もらうんやけど」
武夫には、タエ子が一晩五百円もらってる、といってもピンとこないけど、タエ子は女子、学校の保健で身体のことを教わったし、姉の仕草を見ていて、教えられるまでもなく、メンスの事や、男の事を、覚えてしまったのです。

或る物語-2-

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 タエ子にはお小遣いをくれる小父さんがいるのでした。週に一遍、会ってお話をして、五番町の二人だけになる料理旅館のお部屋で二機関ほど過ごすと、五百円もらえるのです。小父さんの仕事はお寿司屋さんでお寿司を握るひと。千本中立売を上がったところから、千本京極という歓楽街があって、その入り口にあたるところに甘党喫茶の店があって、タエ子はその店、タマヤという名の喫茶店に夜の七時に入って小父さんを待つのです。あんみつ姫という映画を見たから、あんみつを食べます。甘い、あんこがたまらなく美味しい、タエ子は好きになったのです。そのうち小父さんがやってきて、タエ子の前に座って、ミルクコーヒーをお飲みになるんです。
「なあ、タエ子、おかあさん、何かゆうてるんちがうか」
小父さんと知り合ってもう三か月を過ぎていて、週に一遍、こうして夜に家を空けるタエ
子のことを、母親はなんと思っているのか、小父さんは気になるのです。娘の年頃、タエ子は年齢からいって親子ほどの年齢差です。タエ子が15歳、小父さんは40歳を越えたところです。
「おかあちゃん、夜、いやへんから、大丈夫なんよ」
「お姉ちゃんがいるやろ、なんいもゆわへんか」
「姉ちゃん、遅くなっても、心配しやへん、わたしのこと知らん顔」
「そうなん、タエ子、可愛いな、今夜も12時までなら、ええんやな」
小父さんは、タエ子をいつもの料理旅館、市田へ連れていきます。

 タエ子は中学三年生の夏休み、千本中立売のお寿司屋さんでアルバイトしたのです。小父さんはそのお寿司屋さんで、寿司を握っている職人さんです。米を炊くのは住み込みのお姉さんですが、炊けて大きな平桶にご飯がひろげられ、酢がまぶされるのですが、そのときアルバイトのタエ子が、うちわで湯気立つご飯をあおぐのです。小父さんがそのタエ子に、フルーツポンチとか、アイスクリームとかをおごってもらうようになったのでした。
「ええことしにいこ、お金あげるから、内緒やで」
三回目におごってもらったとき、タエ子の夏休みが終わるので、アルバイトができなくなるというので、小父さんが送別会だといって、タマヤでケーキを注文してくれて、料理を食べに行こうといって、その足で、五番町の市田へ、連れられていったのです。
「タエ子は女の子やから、知ってると思うけどなぁ」
「うん、うち、知ってるよ、女は、男に、抱かれるんやって」
「そうか、それで、小父さんは、男やから、抱いてええんか」
「抱いてええけど、赤ちゃんでけへんようにしてね」
タエ子は処女でした。裸にして、股をひろげさせ、指でそこをなぞると,いたい、といったのです。
「いたいけど、がまんし、つぎは、いたいことあらへんから」
遊び人の小父さんは、あっさりと中学三年生のタエ子と、座布団を下敷きにして抱きあって、男と女の関係にしてしまったのです。



posted by utumitansui at 15:37Comment(0)物語

或る物語-1-

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 京都の北西というと北野天満宮があり、金閣寺があるあたり一帯を西陣といっています。西陣という名称の由来は、応仁の乱で西と東にわかれて戦い、西軍の陣地が置かれたことに由来しています。船岡山にその陣があり、東の陣は上御霊神社にあったらしい。上御霊神社へ赴くと、応仁の乱勃発の地との石碑があるから、そのようです。なにやらあやふやにいうのは、現実に見ていないからです。現実に見ていないけれど、ここに書くというのは、これはフィクション、作り物語なのです。男と女が登場する物語ですが、これは昭和の中頃の出来事です。昭和は63年までありましたが、中頃というと昭和31年前後のことです。西暦いえば1956年あたりということになります。この年に何があったかというと売春防止法が制定されているんです。その頃の男と女の出来事を、書いてみようと思うのです。

 その子の名はタエ子といいます。中学三年生になっていました。そのタエ子に好きな男子ができたというのです。タエ子は、そのことを誰にも打ち明けられずにいました。同級生の男子で、おとなしいけれど勉強はそこそこできてクラスでは上位いるという話を、タエ子は聞いたのです。タエ子は三人姉妹の真ん中で、勉強はあまるできなくて、中学を卒業したら就職する手配になっていました。そんなタエ子が、初恋です。好きになった男子と話をしたい、友だちになりたい、お付き合いをしたい、と思うようになったのです。学校の帰り道が同じ方角なので、自分を知ってもらうための方策を考えます。手紙を書いて渡す。これはラブレターですから、文章を書かないといけません。でもタエ子には、それだけの文章力が、ないように思われ、少女雑誌のなかから恋文という文章があったので、それをまねて書くことにしたのです。

 「わたしはタエ子ともうします。キミのことが好きです。お友だちになっていただけませんか。」これだけの文面ですが、ノートを一枚ちぎって、鉛筆で書いて、四つ折りにして、好きな男子のカバンに入れてしまうという行為に至ったのでした。カバンに手紙を挟んでからというもの、ドキドキしながら武夫の様子を見ます。武夫の反応は何もなく、タエ子はとっても不安な気持ちになってきます。さて、その紙切れを発見した武夫は、タエ子という女子を知らないわけではなくて、なにかしら見られているという意識を抱き始めたとことでした。好きとか嫌いとか、そういう感情はなくて、でも女子への憧れは、並みの男子だから、ありました。女子への興味は、好き嫌いというより、からだのことです。男と違う女のからだ、その違うことへの興味です。


posted by utumitansui at 22:29Comment(0)物語

淡水雑記-3-

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 高校に入学したのは1963年でしょうか、いま、指折り数えて計算しているところですが、三年生の秋に東京オリンピックがありました。そのころのお話しです。中学のころから知っていたM君、高校に入って同じクラスになって、よく遊んだというより、勉強をしたという方がいいでしょう。そのM君のお父様がお医者さんで病院を経営なさっているのを知りました。恋した人のことで真剣に悩んでいてたぼく自身、それはもう精神病じゃないかと思ってしまって、その病院を訪問して、診察を受けようかと思ったものでした。結局、訪問することなしに、診察を受けることもなしに、そのまま今に至っているのですが、自分では、その気があったと思うところです。男子16歳というのは感情多感な年齢で、好きな子ができて、その子に打ち明けられなくて、一人悩みます。どうしたはずみか、心の内をうちあけて、恋心を伝えたけれど、成熟しなかった。

 M君は病院の跡取り息子だったらしくて、高校一年は公立高校へ入学していましたが、次の歳には私立の進学高校へ転向していく準備をしていました。ぼくには事情がつかめていなかったのですが、M君はたぶん相当に苦痛だったのではないかと思えます。M君は、ぼくのもとへ、何度も電話をかけてきました。ぼくの家には公衆電話、赤電話が置いてあり、そこは道路に面していました。冬で相当寒い日の夜、八時ごろだっかたに電話がかかってきて、一枚の写真に写った女子のことを、執拗に訊いてきました。M君、そのAMという女子に恋していたのです。そもそも、その一枚の写真は、ぼくが学校へ持って行ったブロニー判カメラで撮った、一枚のクラス集合写真です。ぼくはSTという女子に、入学してまもなく恋していて、秋に、STの写真が欲しくてカメラを持って行って集合写真を撮ったのでした。まさにその写真に写った別の女子にM君は恋していたのです。M君とはその後、学校で会うこともなく、顔をあわせる機会もないままに、しだいに遠のいていきます。ぼくはSTと何度か会いましたが、それだけで終わって、二年生になってからは、顔を合わすこともなかったように思います。

 どこから話しをつなげていけばよいのか、恋した女子を忘れるために、ブラスバンド部を立ち上げ、熱中しました。高校は進学校だったし、ぼく自身も大学進学を思っていたところでしたが、勉強どころではなくなってしまいました。ブラスバンドの成熟、それなりに形を整え、秋の文化祭を機に、後輩に引き継ぎました。文芸部のグループと親しくなり、いっしょに行動するようになっていました。どうもぼくはその当時、かなり大人っぽかったようです。標準的高校生の意識レベルより大人っぽかったのか。そういう最中の修学旅行は九州行きでした。クラスは別々になっていたSTと顔を合わせることになって、一気に恋心がよみがえってきたのでした。延岡あたり、列車のなか、夜だったかも知れない、顔を合わせて、見つめあって、言葉は少なかったように思う。忘れていないことを告げた。でもそれで何事かが起こる、付き合いが始まる、というわけでもなかった。終わったものは、すでに終わっていたのでした。精神科の病院へは入院こそしませんでしたが、入っていて治療をうけてもおかしくはなかったと思えます。M君が死でいたということを聴いたのは数年前のことです。詳しくはわかりません、自殺したということでした。

淡水雑記-2-

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 嵯峨大覚寺の境内に「大沢の池」があります。その池から山のほうに名古曽の瀧というのがあったということで嵯峨天皇に関係してるらしい。今は、その瀧には水が流れていなくて、石組の跡だけが残っていました。先日、その名古曽の瀧跡へ、導かれるままに行ってまいりました。石組みの、その向こうには、垣根があって、そこからは出られなかったのです。が、そこの住所は、嵯峨名古曽町です。嵯峨名古曽町という地名は、ぼくが高校の一年後輩でいた子が住んでいた住所でした。高校二年生だった当時、一度だけ単車の後ろに乗せて、その子の自宅の前にまで送って行きました。暗い道を走って、その子の家屋は藁葺の家だったように記憶していて、障子戸に縁側がある家だったように記憶しています。そのとき一回切りの送りです。冬でした。素手が凍えるように冷たかったのを覚えています。冷たい道を単車で突っ走った。学生服のズボンの右足の糸がほどけ、ふくらはぎが見えていました。特別な関係にあった子ではありませんでしたが、気になる子ではありました。

 その子は文芸部に所属する女子のひとりでした。文芸部には男女が数人ずついて、仲のよいグループに見えました。ぼくなんぞは、女子と会話するだけでもハニカム派だったと思います。ぼくはその年、ブラスバンド部を立ち上げ、部長として文化祭までがんばって、そのあとのクラブ運営は後輩に譲って、ぼくはフリーになりました。その秋の文化祭で、文芸部の人と知り合うようになったのです。高校生の年齢は16歳から18歳、青春というか感情多感な頃だったと思います。胸が絞めつけられるような醒めた冷たい感覚に襲われます。家庭的に十分でなかったことも原因しているかもしれないけれど、個人の資質に拠るところ大きいのではないかとも思います。というのも、その頃から感じ始める感覚が、起伏はあるとしても今にも続いていて、まるで病気かと思うくらいです。高校一年生のとき、恋をして、恋した相手と何度か逢引したけれど、今でいうお付き合いは成熟しませんでした。

 恋に落ちるというのは青春時代には、誰だってあるもんだと思います。片思い、そうです、片思いというやつです。これは相手への思いの深さによって、こちらの思い悩みが浅かったり、深かったり。深い片思いは、それなりに片思いではなくて、相思相愛かもしれないところまで成熟するけれど、なにかの因縁で途切れてしまう。終わってしまう。これは心の傷が失せるまで、相当な時間がかかるけれど、いずれのときにか忘れてしまうものです。そういう経験を、何度かしています。この個別の経験を紐解いていけばいいのかも知れません。ただ、それらは恋の段階で終わっていて、抱きあったり、接吻したり、性交渉したりというこたはありませんでした。唯一、一緒になった彼女とだけ、性の交渉があって、子供が生まれ、いまとなっては孫が誤認になっていて、それなりに社会人を務めあげてきたところです。外面的には大きな破たんもなく、紆余曲折でしたが、ここにこうして、こんなことをして、生きているところです。